ナマムギジケンヒ
生麦事件碑
<地域史跡 市登録文化財 昭63.11.1指定>
日本が開国するに及んで、外国人と接触する機会が多くなった。お互いに相手の国の習慣を知らない国民同士である。大小のトラブルが起こり、時には殺傷事件にまで発展する。そのような事件の内、最も有名なのが生麦事件である。文久2年(1862年)8月21日、東海道の生麦辺りで、川崎大師を見物に行く途中のイギリス人が、薩摩藩主の父島津久光(ひさみつ)の行列と遭遇し、藩士に切りつけられた。この時、イギリス人はこの事件を大きな外交問題とした。幕府は交渉の結果、賠償金を支払い、薩摩は鹿児島湾で英国艦隊と戦いを交えることになった。鶴見の人、黒川荘三(しょうぞう)は明治16年、事件の跡に碑を建てた。碑の撰文は中村正直である。
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時代/作成:近現代
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