ノウケンドウアト
能見堂跡
<地域史跡 市登録文化財 昭63.11.1指定>
金沢区能見堂についての記述は中世から見られるが、近世にいたり、能見堂は金沢八景との関連で重要な位置を占める。貞享2年(1488年)版の『新編鎌倉志』には「八景総て能見堂より云なり」と明記されている。金沢八景は広く人々に親しまれ、安藤広重等の絵師達にも、格好の画題となった。その盛期は天明年間(1781~1789年)から嘉永期に及ぶおよそ70年間であり、江戸の文化的、経済的成熟を背景として台頭してきた町人層には江ノ島、鎌倉と金沢を結ぶ格好のルートとして能見堂は脚光を浴びることになる。しかし、新田の埋め立てが進み、能見堂からの景観は衰え、ついに、明治2年の火災によりその長い歴史を閉じた。
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時代/作成:近世
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