横浜市歴史博物館

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イドガヤジケンノアト
井土ヶ谷事件の跡

<地域史跡 市登録文化財 昭63.11.1指定>
 
 井土ヶ谷事件とは生麦事件と同じく外国人殺傷事件で、文久3年(1863年)9月2日昼ごろ、井土ヶ谷村字下之前(現南区井土ヶ谷下町3)で仏国士官カミュが浪人体のもの3人に殺害された。横浜在留の外国人は幕府を非難、艇泊の外国軍艦は乗組員の一部が上陸、警戒体制をしき、山手に外国人部隊の駐屯地が出来る発端となった。フランス公使の示唆によって幕府は「横浜鎖港使派遣」の名目で謝罪使を任命、使節は謝罪の上、遺族扶助料を与えたが、鎖港は実現せず、使命を果たさなかったとの故に罪に問われた。カミュは事件の翌日、現在の外国人墓地に埋葬、墓碑も建立された。事件跡から西北へ約1町、道標をかねた庚申塔がある。

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時代/作成:近世

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