この時(じ)代(だい)、全国(ぜんこく)は「国(くに)」に分(わ)けられ、国(くに)はいくつかの「郡(ぐん)」に分(わ)けられていたんだ。この時(じ)代(だい)の農民(のうみん)は租(そ)・調(ちょう)・庸(よう)といわれるいろいろな税(ぜい)を納(おさ)めなければならなかったんだよ。全国(ぜんこく)各(かく)地(ち)から運(はこ)ばれる生産(せいさん)物(ぶつ)は都(みやこ)に住(す)む人々(ひとびと)の暮(く)らしを支(ささ)えていたんだ。どのようなものが都(みやこ)に運(はこ)ばれたかは、品物(しなもの)につけられた木簡(もっかん)(木(き)の札(ふだ))でわかるので、調(しら)べてみよう。また、農民(のうみん)たちは, 兵役(へいえき)といって、防人(さきもり)として遠(とお)く北(きた)九州(きゅうしゅう)へ、兵(へい)士(し)として北(きた)の多賀(たが)城(じょう)へ行(い)ったりしなければならなかったんだって。
このような税(ぜい)や兵(へい)士(し)を集(あつ)める仕(し)事(ごと)をしたのが郡(ぐん)衙(が)なんだよ。
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