吉井:はなさん、ようこそいらっしゃいました!この前ははなさんのラジオ番組におじゃまして展覧会の話をさせていただきましたが、今日は、実際に会場で「横浜の仏像」をご案内します。
はな:はい、よろしくお願いします。楽しみです!
吉井:横浜をテーマにした仏像の展示をするのは初めてのことで、飛鳥時代から南北朝時代まで、市域の仏像を体系的に見ていただけます。
はな:まず、入口にいらっしゃるこちらは・・・?
吉井:ちょっと傷みがひどいのですが、横浜市指定有形文化財の第一号となった、泉区岡津町の向導寺阿弥陀如来像です。整った顔立ち、奥行きの薄い体のボリュームなど、定朝様の仏像を思わせます。十一世紀頃のものといわれます。今回は横浜の文化財調査の記念碑的な作品として展示をしています。
はな:これは指定された時の状態なんですか?
吉井:指定された時は解体状態で・・・
はな:あら、もっと?
吉井:そうなんです。今回は安全を考慮して仮組み状態とはなりますが、よみがえりました。
はな すごいですね。
吉井:関東大震災で、破損してしまったようです。それが昭和六三年(一九八八)の調査の時に発見されて、文化財的価値が見出されました。今後、修復をできればと考えています。
はな:そうですね。この機会に元のお顔を取り戻せるといいですね。
吉井:良いお顔しているんですよ。
はな:ねっ♪
吉井:それでは展覧会場の中を見ていきましょうか。
吉井:鶴見区松蔭寺に伝来した如来坐像になります。はなさんがおっしゃっていた、いわゆる“お持ち帰り”の仏像です。
はな:本当にかわいい♡
吉井:松蔭寺近くの、西寺尾八幡神社(現神奈川区)にご神体として祀られていたものが、明治の神仏分離令の影響を受け松蔭寺に移されました。
吉井:詳しい伝来はわかりませんが、飛鳥時代の仏像が横浜にあるというのは大変貴重なことです。
はな:そうですよね。
吉井:可愛いですよね、玄関とか置いたら…
はな:いいなぁ。
吉井:お隣は、金沢区龍華寺の菩薩坐像です。東国では大変珍しい奈良時代の脱活乾漆像です。当時の都、平城京で製作されたものといわれ、近世以前には龍華寺の門前にあった子院福寿院に伝わっていました。発見当時、非常に状態が悪かったのですが、その後、修復され、現在の姿になっています。
はな:そうなんですね、安心しました。
吉井:兵庫・金蔵寺の阿弥陀如来像頭部と似ているとされ、その脇侍であった可能性が指摘されています。なかなか端正な顔つきですね。
はな:すごい、いいなぁ。 三尊象の脇侍だったものなんですね。
吉井:青葉区真福寺の伝千手観音菩薩像です。当初は顔が一つ、手が六つの一面六臂の像だったようです。頭上面と背中の二手は後補されたようです。
はな:横浜の仏像っていうのは結構あとから手を加えられるものも多いのでしょうか?
吉井:時代が経って修理されたりすることがあるので、横浜に限ってというわけではないですね。
吉井:こちらは、磯子区真照寺に伝わった毘沙門天像です。真照寺は横浜を代表する武士団である平子氏の菩提寺になります。史料によると寺院を再興した平子有長の姿を模したものではないかと伝わっていて、凛々しい顔立ちで博物館内でも結構好きな人が多いです。
はな:平安時代の仏像の特徴でもある、ふっくらとしたお顔がチャーミングですね!
吉井:こちらも同じ真照寺に伝わった阿弥陀三尊象。今は亡くなってしまった台座の芯棒に元暦二年(一一八五)建立と書いてあり、お寺が再興した年と考えられます。つまりこの三尊像が作られたのもその頃であろうと思われます。
はな:…お茶の先生に似てます(笑)
吉井:ひとつの楽しみ方として、仏像が誰に似ているかって探すのは面白いですね。
はな:結構そういう見方ありますよね。
吉井:様式や歴史的背景も大切ですけど、色々な見方をして興味を持つのもいいですね。
はな:こちらの阿弥陀如来像は…?
吉井:栄区證菩提寺の阿弥陀如来像です。三尊像ですが今回は中尊のみのお出ましです。これは安元元年(一一七五)頃の制作で、もともと岡崎義実が源義朝の菩提を弔うために鎌倉亀谷に建てた仏堂の本尊といわれ、のちに、義実の息子佐奈田与一義忠が石橋山の合戦で亡くなり、息子の菩提堂を今の證菩提寺に建てたとき、本尊として移されたと考えられています。
はな:そうなんですね。これは好みのタイプですね。
吉井:次は金沢区東光禅寺の薬師如来像ですが、こちらもまた可愛らしい。これは畠山重忠の念持仏として、伝わっている薬師如来像です。
はな:凛々しいお顔をされていますね。横から見るとかっこいいですね♪
吉井:そうですね、 横から見るといい感じですね。小さいけれど、ボリュームのある感じとかキリッとしたお顔が…
はな:ステキです!
はな:これ好きですね!人間っぽくて、どこか親しみやすさを感じます。表情も特徴的です。
吉井:他の清凉寺式に比べてなんか優しい感じ?
はな:少し暗い顔していますよね。口角が下がってます。
吉井:口がちょっとへの字ですね…。青葉区真福寺に伝来する釈迦如来像ですが、少し離れた所にあった釈迦堂の本尊といわれています。大正十年(一九二一)に真福寺が現在地に移るときに一緒に移されました。清凉寺式釈迦は、釈迦在世中にその姿を写した像として信仰を集め全国的に模像が多く製作されました。このお像がどうしてこの地に伝わってきたかはわからないんですよ。特徴的なこの衣文は見ていると癖になります。ずーっと見とれてしまう感じで。川の流れのように。
はな:本当ですね、川の流れのようですね。
吉井:なかなか(仏像を)横にして見ることってできないんですけど、博物館へお運びするときに寝かせた状態になるんです。
はな:ああー!
吉井:そうすると、顔からおなか側が見えるんですが、なかなか良い眺めで。
はな:吸い込まれるようですね。おなかが一番出っ張ってるんですか?
吉井:お腹が一番出っ張ってますね。
はな:後ろの髪の毛も凄いですよね!清凉寺式の後ろの髪の毛は初めて見たかも。どうなってるんだろう、編み込みを下から上に?
吉井:この真福寺の仏像は、実は清凉寺式釈迦の中では研究がされてなかったようで、作品解説を書かれている山本先生は、今後もっと検討していかなければ、と仰っています。光背は修復されたときに製作されたのものです。今回は一般の方にも仏様の荘厳な雰囲気を味わっていただきたいと思い、展示しました。迫力も伝わるかなと思いまして。
はな:そうですね、光背があった方が当時のお姿の想像が膨らみますね。
はな:あー、ホントだ!
吉井:そして体部は、袈裟を両肩にまとっていて、衣文を省略して表しています。善光寺式阿弥陀如来の形式を意図したものといわれます。善光寺式はこちらにある龍華寺のものもあるんですが、特徴が大寧寺のに似ていますよね。
吉井:少しすわっている感じですよね。もともと言い伝えがあって、寺が荒廃していた戦国時代の頃、この阿弥陀様の前で人が落馬するということが続いて、一人の僧が面をかけてお顔を覆うと…。
はな:被っていたんですか?
吉井:被っていたと伝えられているのですが、本当のところはちょっと分からないです。
吉井:こちらは金沢区光傳寺の地蔵菩薩像です。記録には六浦荘の「瀬崎地蔵堂」の本尊ではないかといわれています。寺伝では、昔、竹田という宮大工がお寺の前を通る時地蔵菩薩と背競べをしていたことから “たけくらべの地蔵”とよばれます。
はな:じゃあ、わりと大きい…?
吉井:台座をいれると二メートルちょっと、お像だけだと一六〇センチくらいありますね。
はな:ちょうど人間くらいの大きさですね。
はな:こちらの観音様の頭に乗っている化仏もまた目立っていますね!
吉井:旭区の長源寺の十一面観音です。奈良の長谷寺の十一面観音さんの様式、長谷寺式十一面観音になります。何も塗っていない状態だから、なんというか東南アジア系の感じの顔に見えますよね。
はな:頭上の顔とか唇の彩色は後からですか?
吉井:後からですね。
はな:頭上の一番上の顔が、スゴイ目をしてますよね。
吉井:かなりいかついかんじですよね。これもなかなかいいですよね。
吉井:こちらは南区寶生寺のご本尊です。運慶作という伝承があるんですが…伝承の域は出ません。
はな:どうなんでしょうね?
吉井:顔が大きいんですよね。
はな:ふふふ。運慶作の大日如来といえば、奈良の円成寺ですよね。つい比べてしまいます。あれはすごいですよ。フレッシュネスの塊ですよ。
吉井:それに比べると…。
はな:バランスがね。
吉井:肩とかもあがっちゃっている。
はな:ふふふ。
吉井:これは先ほどもでてきた證菩提寺に伝わっている聖観音です。
はな:あのかっこいい阿弥陀如来の?
吉井:そう、さっきはなさんが好みのっておっしゃっていたかっこいいやつですね。この聖観音、来歴はわからないんですけど、證菩提寺の建立にかかわった源頼朝が聖観音を深く信仰し逸話も残っています。そうした背景を考えると、お寺に聖観音像が伝来することとも何か関係あるかもしれません…。写真写りが良いんですよ、この仏さま。図録とかでも写真写りが。
はな:ほんとだ、印象が全然違いますね。
吉井:小さな仏様でも写真だと大きく見えたり…、なかなか面白いですよね。
吉井:こちらが唯一県外からおでましいただいた仏像で、静岡県河津町の林際寺のご本尊です。もともとは、金沢区にかつてあった能仁寺のご本尊でした。三年前の上原美術館の調査で発見され、製作年や作者がわかり、今回、里帰りいただくことになりました。かつて市内の古刹に伝来した仏像として、横浜の歴史を考える上でも重要ですよね。横から見てもだいぶ体が分厚くて、首をちょっと丸めている感じ。
はな:ぜひ、みなさんいろんな所から見て欲しいですね。しゃがんだり、こっちからみたり、横から見たり。ほら、目が合いますよ!
吉井:そうですね。お気に入りの角度を見つけてもらうってのも良いかもしれない。もともと錫杖を右手に持っていて、前足の横にあるひだが見えますか?凹んでいるところに錫杖の先がちょうど落ちるようになっているんです。
はな:ちょうどシワが寄っていますもんね。左の掌は?
吉井:展示では出ていないですが、普段は宝珠を持っています。
はな:なるほど。
吉井:はなさんいかがでしたでしょうか?
はな:楽しかったです!時代を経て、だんだん洗練されて行くんですね。横浜の仏像を、このように一堂に、年代を通して、実際に見ることが初めてだったので、すごく新鮮でしたね。
吉井:ありがとうございます。お気に入りの仏像や、気になったところはありましたか?
はな:横浜らしさがすごく詰まっていて、他の地方で見る仏像とはまた趣きが違って、表情も違うし。実際生で仏像を見ることによって実感できましたね。
吉井:表情も含めて?
はな:横浜の好きなところって、マイペースだったり、自由だったり、あまり流行りとかにとらわれず、我が道を行く。こういう精神がすごく横浜っぽいなっていつも思っているんですけど、それが仏像にも現れているっていうのがすごく面白い。トレンドが一番最後にきた場所、到着点ともおっしゃっていましたが、それがある意味、仏像の個性にもつながっていますよね。いろんな小さな文化とか地域の特徴がまたぐちゃっと混ざって、でも横浜らしさっていうのも仏像にも現れていて、そういった魅力がすごくあふれている仏像が多かったな、と思います。
吉井:そうですね、ありがとうございます。では最後に、お気に入りのものをひとつ選ぶとしたら?
はな:ひとつ選ぶのはすごい難しい(笑)ので、自分の中で個性的だなと思った三体を選びますね。まず最初に、飛鳥時代のあの金銅仏(松蔭寺)。横浜に飛鳥時代の仏像がそもそもあったんだ!というのはすごく自分の中でも驚きでした。しかもサイズが“すごくちょうどいい”、自分の中での“お持ち帰りサイズ”でした。そのまま持って帰りたいっていう、自分の手に収まるサイズの仏像、なんか自分も守ってあげなきゃいけない。そう思うような存在の仏像がすごく好きなんです。
吉井:連れて帰りたくなるかどうか?
はな:そうですねぇ。親しみやすい仏像は連れて帰りたくなりますよね。私の場合、それが大事な要素になります(笑)そして二体目は毘沙門天様(真照寺)です。人気があるとおっしゃっていましたよね?
吉井:女性に結構人気があるんですよ。
はな:毘沙門天というと、私の中では仏像界の中でも“イケメン”でなおかつ“お父さん”、結婚もして子供もいて“パパ”の力のような、一家の大黒柱というか…
吉井:包容力というか?
はな:強くて、優しい。全部、兼ね備えた仏像のイメージがあります。こちらの毘沙門天様も愛嬌のあるお顔をしていますし。 鎌倉時代に入る前なので、あまりいかつさもなく、すごく親しみやすい姿や形、そして動きをしていたので、女性に好まれる像じゃないかと思って選びました。
吉井:なるほど。
はな:三体目はあちらの釈迦像(真福寺)。あの立像はすごく“今”を表している。実は昨日、「マスクしてると表情筋が衰える…」という話を友達としていたんですが、この釈迦像は少し口角が下がり気味じゃないですか?口角が下がるのはある意味、不安な時期かなって…
吉井:人々を救ってくれる仏様が?
はな:そうそう、こっちまで不安になるような表情のところがまた良かったりして。ある意味この釈迦像を見て自分も口角あげなきゃって…
吉井:反面教師みたいな?
はな:そうですね。逆の意味でこっちもまた守ってあげなきゃいけない。仏像もまたちゃんと今の時代を生きていて、私たちを見てくださっていて、同じ時代を生きている感がすごく表れている。その口元を隠すと全然違う表情で見られますし。元々、清涼寺式がすごく好きなんです。インドの仏像を思い出す姿だったり髪の毛の特徴だったり。今回は後ろまで見られるので、どうやってこのヘアースタイルを作るんだろうっていう、特徴のある編み込んだ髪の毛は、いわゆる仏像の螺髪ではなくこういった髪型の仏像もいるんだよっということを親切に教えてくれます。そういった意味でもすごくユニークじゃないかと思って選びました。
吉井:はなさんならではの視点で見ていただいて、これから観覧される方の参考になると思います。どうも長時間にわたってありがとうございました。
はな:ありがとうございました。
(開催期間 2021年1月23日~3月21日)
展覧会のアンバサダー・モデルのはなさんと、学芸員の吉井が
実際に会場をめぐりながら見どころを語りました。