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 元町ならでは? おしゃれなアクセサリー

 写真の遺物は元町貝塚(中区)から出土した、ペンダント状の装飾品の一種と考えられるものです。
 タテ
6.5cm、ヨコ2.3cm、厚さ0.3cmほどの大きさで、シカの角を削って作られています。全体の形は靴べらのようにうすべったく、角を削って作っているためか、ヨコ方向の断面はわずかに湾曲しています。全体の形状はタテに細長くなっていて、昔の缶ビールなどに付いていたプルタブのような形をしています。プルタブの指先をかける部分のようなところを含めて5か所に穴をあけられていますが、そのうち写真の下側の2か所については2つの穴が重なっているような形状をしています。また、残念ながら写真の右下の穴の部分は欠けてしまっています。ただ、この欠けている部分も良く観察すると摩滅(まめつ)しており、壊れてからも使用されていたことが推察(すいさつ)されます。ちょっと壊(こわ)れたからといって捨ててしまう現代人と違って、縄文時代の人たちは非常に道具を大切にする人たちだったようです。
 貝塚は知っている方も多いと思いますが、食べ終わったあとの食材(魚の骨やウロコ、貝殻、動物の骨)や割れて使い物にならなくなったような土器などを捨てたいわゆるゴミ捨て場です。ただし、単なるゴミ捨て場ではありません。当時の人たちのものの考え方は現代人では理解できませんが、動物の遺骸や亡くなった人を、埋葬したりもしていたようです。
 貝塚は大きく分けて2つのタイプに分けることができます。ひとつは、崖の法面(のりめん=傾斜している場所)で発見されるもので、斜面の上から下に向かい貝などを投げ捨てているような状況をしているもので、斜面貝塚(しゃめんかいづか)と呼んでいます。またもうひとつは、使われなくなって朽(く)ち落ちた竪穴住居跡などの窪(くぼ)みに貝などが捨てられているもので、こうした窪みが点々と(その地点、その地点に)あるので、地点貝塚(ちてんかいづか)と呼んでいます。
 元町貝塚は、斜面貝塚のひとつです。こうした斜面貝塚は当時暮らしていた人達の居住空間からは少し離(はな)れた場所にあったようです。元町貝塚でも住居跡などの遺構は確認されていません。生活エリアと貝塚エリアとの間に一線をひく約束ごとがあったのでしょうか。それとも生ものなどが集積していた場所なのでその臭いがすごく、住居から離れたところに捨てた結果かもしれません。ただ、発掘調査をしている時には、若干の磯臭さを感じるくらいで、とくに臭わないのでご心配なく。
 横浜の丘陵部では、ほとんどの場所で関東ローム層が確認されてます。遺構の多くは、この関東ローム層を掘り込んで造られています。この関東ローム層は非常に強い酸性土(さんせいど)で、骨や木などの有機質のものは分解してしまうので、ローム層中に作られている(ほられている)遺構の中からこうしたものが検出されることは余りありません(もちろん、ローム層のもつ性状だけではありませんが)。しかし貝塚の場合は、大量の貝殻に含まれているカルシウム分が溶け出し、このカルシウム分に保護(中和)されるような状況となるため、ローム層や暗褐色土層中に存在している場合より遺存状態がよく、多くの有機質(ゆうきしつ)の遺物も見つかるわけです。ちなみに貝塚から出土する土器の破片も、貝殻のない土層に含まれているものに対して、表面が硬く、あまり風化していないものが多いようです。
 元町貝塚からは、こうした骨角器(こっかくき)と呼ばれるような、動物の骨や角などで作られているさまざまな遺物が出土しています。今回は、おしゃれな元町にピッタリな出土品の紹介でした。ためになる?まめ知識のなかでは、同じ元町貝塚から出土している糞石(ふんせき)を紹介しているものもあるので、そちらのページもご覧になってください。

 


元町ならではのおしゃれな形をしている装飾品

 

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