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太陽のマーク

 
写真の土器片は、旭区上白根町の上白根おもて遺跡の発掘調査の際に見つかった土器片です。上白根おもて遺跡は、昭和5758年(19821983)に旭北中学校建設に伴って調査された遺跡で、縄文時代中期の中頃(今から約4500年前)の大型の集落跡として知られています。
 この土器片も縄文時代中期に作られたもので、曽利式土器と呼ばれる土器型式の特徴をもっている土器です。深鉢形と呼ばれる形をした土器の胴部のあたりの破片で、破片の中央に丸い粘土のこぶを貼付け、その周辺をジグザグに粘土の紐を貼付けています。その様子は、小さな子どもが描く太陽の形によく似ています。
 では、縄文時代の人たちが太陽を意識してこの文様をつけたのでしょうか?
 結論から申しますと、太陽ではなく蛇を象ったものではないかと思われます。縄文時代中期の土器の多くには隆帯と呼ばれる粘土の紐を貼った文様が使われています。この隆帯の中でも。蛇行したものや渦巻き状に表されているもの、隆帯にきざみ目が入ったものなどは蛇を象っているものと考えられています。蛇行はまさしく蛇の動きを表現していますし、渦巻きからはとぐろを巻いた状態が容易に推測されます。また、きざみ目は、蛇の鱗を表現しているように思えませんか? もう一度土器をよくみて見るとジグザグの隆帯は、破片の下側へと続いています。破片だけで全体が残っていないので何ともいえませんが、隆帯によって区画された中は蛇の身体の内側を表現しており、丸い粘土は身体の中にある卵ではないでしょうか?
 蛇はその強い生命力から、不死や復活の象徴として崇められていました。縄文時代の死因の第1位は出産だと聞いています。ですから、この文様をつけた縄文時代の人は、お腹にみごもった生命が、蛇のように強く無事に生まれてくることを祈り、土器に表現したのかもしれません。ちょっと考え過ぎですかね。また、面白いものや変わった文様を見つけたら紹介いたします。

 

 

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