新しい話

石でできた鏡
 写真の遺物は、金沢区の瀬戸神社旧境内地内遺跡(せとじんじゃきゅうけいだいちないいせき)から出土した石製品(せきせいひん)の一部で、右から有孔円板(ゆうこうえんばん)、円板、勾玉、管玉となっています。これらの遺物は単に石製品と呼ぶだけではなく、その形状がいわゆる三種の神器(さんしゅのじんぎ=剣・鏡・玉)などを模したものであることから、石製模造品と呼ばれたりもします。また、この写真の遺物は石製ですが、中には土で作られているものもあり、そちらのほうは土製模造品と呼びます。
 有孔円板と円板は鏡を模した石製品で、勾玉は古墳の出土品でよく見られるような断面が円形のものではなく、やや平べったい形をしています。また、右側の勾玉は有孔円板と同じく薄い板状をしています。
 瀬戸神社旧境内地内遺跡では、いろいろな遺構とともに5か所で貝塚が確認されています。貝塚の形成時期はさまざまで、このうちE貝層と呼んでいる貝塚は、遺跡の中央付近で検出された20×10mほどの広がりをもっている古墳時代の中期(今から約1,600年前)に形成された貝層です。また、発掘調査の結果、この貝層の南端が当時(古墳時代中期)の海岸線であったことが確認されています。写真の石製模造品はこのE貝層中から見つかりました。
 このような石製模造品や土製模造品などの遺物は、日常生活で使用する道具ではなく、祭祀(さいし=神をまつること)に使用されていたものと考えられています。このため、こうした遺物を伴っている遺構のことを祭祀遺構(さいしいこう)と呼んでいます。また、祭祀遺構のみや祭祀遺構を主体とした遺跡のことを祭祀遺跡(さいしいせき)と呼びます。祭祀遺跡や遺構は、主に集落などの日常の生活場所からは離れた丘陵上や、岬の突端や海辺に接する小島などの、神霊(しんれい=神のみたま)が依(よ)りどころにしたと思われる場所に立地していることが多く,神社が発生する前の段階の性格があったものではないかと考えられています。この遺跡も瀬戸神社の昔の境内に位置しており、瀬戸神社の起源*に関係している可能性も十分に考えられます。
 また、この貝層の北東側の縁(へり)には大きな岩が列をなして置かれている場所がありました。この岩陰(陸側で、貝層とは反対側にあたる部分)にはまったく貝が遺棄(いき)されておらず、土器の表面が赤く塗られている坩(かん)と呼ばれる小さな壺や高坏などがほぼ等間隔に並べられていたように見つかりました。こうした土器も石製模造品同様に日常に頻繁(ひんぱん)に使用していたものではなく、特殊なものといえます。ですから、こちらも祭祀に関する遺構の可能性が非常に高いと考えられます。
 2つの遺構のはっきりした関係はつかめませんでしたが、一方では貝層の中から祭祀関係の遺物が出土するのに、もう一方では貝を避けているのはちょっと不思議な感じがします。もしかして石製模造品などの遺物は、祭り事(神事)が終わってしまったら他の道具などと一緒に使い捨ててしまうよう決まりでもあったのでしょうか?
*瀬戸神社は、源頼朝が鎌倉時代に入って伊豆の三島明神の分霊を遷(うつ)したものが起源とされています。

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