この塊(かたまり)は一体なんでしょうか?
 それは横浜市青葉区さつきが丘の稲ヶ原(いながはら)遺跡A地点の縄文時代の遺物を含む層(現横浜市立さつきが丘小学校)から出土した天然のアスファルトです。アスファルトってあの道路の舗装(ほそう)に使うコールタールみたいなもの? そうです。アスファルトには,地表に滲出(しんしゅつ=しみ出した)した原油が長い年月のうちに比重の軽い油分を失い,酸化(さんか)してできた天然のアスファルトと石油精製(せいせい)によって生産されるアスファルトがあります。石油アスファルトは石油を蒸留(じょうりゅう)した際の残油(ざんゆ)や潤滑油(じゅんかつゆ)を製造する際の残渣(ざんさ=残ったかす)のことをいい、道路の舗装や電気の絶縁(ぜつえん=電気の流れを断つこと)、防水や保温・保湿、保冷などに使用しています。また、粘着力が強いため世界的にも古くから接着剤として使用されています。英語のアスファルトという語句とは、もともとギリシャ語の「〜しない」「落とす」(=落とさない)という2つの意味をもった語句からきているそうです。なるほど接着剤にぴったりなネーミングです。
 天然アスファルトは、東北や北海道の遺跡から多く発見され、中でも青森県では100か所以上の遺跡で出土が確認されています。縄文時代前期(約6,000年前)のはじめ頃から弥生時代中期(約2,000年前)までの遺跡から出土しており、その最盛期(さいせいき=もっとも流行していた時期)は縄文時代後期〜晩期(約4,000〜3,000年前)にあるようです。あの有名な青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡でも、縄文時代中期の竪穴住居跡から大きなアスファルト塊が見つかっており、この住居跡はアスファルトを使って狩猟の道具を作っていた施設であったと考えられています。
 天然アスファルトは、日本では日本海側に位置する新潟県から秋田県の油田地帯に多く産出(さんしゅつ)することが知られています。東北地方や北海道の遺跡から出土した天然アスファルトもこれらの地域から持ち込まれたものと考えられています。神奈川県内で発見された例は、この稲ヶ原遺跡A地点だけとなっています(もし他にあったらごめんなさい)。稲ヶ原遺跡に暮らした人たちもこの便利な材料を得るために遠くの人たちと交流して手に入れたに違いありません。交通網(こうつうもう)が整備され発達した現代においても、容易に移動できる距離ではない土地に、わざわざ手に入れにいく姿を思い浮かべると(もちろん直接ではなく間接的に手に入れた可能性のほうが高いですけど‥‥)、わずかな距離の移動に文句をいってはいけないことだと実感してしまいます。
 では、一体何に使ったのでしょうか? 横浜市内では確認されていませんが、遺跡から出土した石鏃(せきぞく=矢じり)の根元の部分に黒っぽいものがついている時があります。この黒っぽいものの成分を調べたところ天然アスファルトであることが分かりました。先ほどアスファルトの特性で強い粘着力があることを説明しましたが、どうやら矢の先端の矢じりと箆(の)と呼ばれる細長い棒状の部分を固定するために使用していたようです。このような使い方の他にも、水を弾く特性を活かして漁労具(ぎょろうぐ=魚などを獲るための道具)に使用していた可能性も考えられています。
 稲ヶ原遺跡A地点発掘調査報告書は、市内の図書館や横浜市歴史博物館、また当埋蔵文化財センターで閲覧することが可能です。発掘調査報告書にはこの他にもいろいろな情報が詰め込まれています。興味がある方は一度ご覧になるのもよろしいかと思います。

            稲ヶ原遺跡出土のアスファルトの塊(かたまり)

 

ページのトップへ  埋文ページホームへ