これは一体なんでしょう?
 これはなんでしょう? 4cmほどの大きさで、薄茶色で表面がちょっとがさついた棒状をしたもので、写真の上側が欠けています。中には白っぽい軟骨状のものも見受けられ、ちょっと高い鶏つくねのようにも見えます。
 じつは中区の元町貝塚(もとまちかいづか)から出土した自然遺物で、糞石(ふんせき)と呼ばれるものです。糞石とは糞(ふん=うんちのこと)が石化したもののことをいい、またの名を糞化石ともいいます。ただし、石や化石という字を使っていますが、全部が石のように硬くなっているわけではありません。
 糞石研究の歴史は古く、19世紀の後半にはすでに研究していたようです。また、専門に発掘・研究をする学問(糞石学=paleocoprology)まで確立しています。この学問は、糞に含まれる細菌類や残留物(ざんりゅうぶつ)、つまり生物の骨や脂肪酸、寄生虫などをつぶさに調べることで、糞を残した生き物の当時の食性を研究しているものです。もちろん、縄文時代の人や野生生物だけではなく、縄文時代より遥か前の時代の恐竜などの古生物まで研究の対象としています。
 この糞石は、どこの遺跡でも発見される訳ではなく、貝塚のような条件の良い場所(分解が進まない条件が整った場所)でないとあまり見つけることができません。また、貝塚であっても必ず見つかるという訳でもありません。ですから、たいへん貴重な資料であるといえます。
 では、一体何の糞なのでしょうか? まだ、科学的な分析を行なっていないのでなんともいえませんが、魚の骨(白っぽいのがそうです)などが多く見られることや大きさからみて、人間ではなくイヌの可能性が高いものと考えています。
 元町貝塚は、縄文時代前期の終わり(今から約5,000年以上前)から中期の中頃(今から約4,500年以上前)にかけて形成された貝塚で、その主体は中期初頭の五領ヶ台(ごりょうがだい)式となっています。見つかった貝層には、ハマグリやアサリが主体となっており、その他にもガミガイ・シオフキ・オキシジミ・サルボウ・イタボガキ・マガキ・アカニシ・ツメタガイなど多くの貝種が見られました。また、それらの貝に混じって骨角器(こっかくき)や貝刃(かいじん)・貝輪(かいわ)や土器の破片、打製石斧など多くの出土遺物が確認されています。

 

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