縄文時代の食生活
  縄文時代の人たちは何を食べていたのですか?という質問もよく寄せられます。私たちは日本の歴史を勉強する際に、原始時代の食生活については縄文時代は狩猟(しゅりょう=狩りのこと)・採集(さいしゅう=拾ったりとったりしてしてものを集めてくること)、弥生時代には稲作(いなさく)というように、ごく大まかに教えられたかと思います。今回は、縄文時代の食生活について少し説明してみたいと思います。
 狩猟・採集というと、原始人が斧(おの)を持ってマンモスを追いかけている絵や、骨付き肉をかぶりついている姿が思い起こされると思います(はじめ人間ゴン[ギャートルズ]のマンガのせいでしょうか)。このように一般的には当時の人たちの生活は、まず狩猟ありきと考えがちです。しかし、数多くの発掘調査が行なわれた結果、今では縄文時代の人たちが主として食していたものは植物性食物(しょくぶつせいしょくもつ)であったと考えられています。あくまで動物性食物(肉や魚、貝など)は副として摂取(せっしゅ)していたようです。この表現ですと主食(しゅしょく)・副食(ふくしょく)という言い方と混同してしまう恐れがあるので、植物性食物がより多く摂(と)られていましたと言い換(か)えた方が良いかもしれませんね。ちなみに主食・副食(=ごはんとおかず)という概念(がいねん=考え方)は日本独特のもので、海外にはないようです。海外では、食事は食事なんですって。
 では、植物性食物のなかではどのようなものが多く利用されていたのでしょうか。貝塚や住居跡の中に残されている自然遺物を研究することによって、現在ではクリやドングリ(ブナ科の実の総称、日本では約20種類)、クルミやトチなどの堅果類(けんかるい=堅い皮をもつ果実の仲間)や根菜(こんさい=根っこの部分を食べる野菜)類が多く採られていたことが分かっています。これらの食物は、そのまま食べるもだけではなく、灰汁抜(あくぬ)きして、石皿(いしざら)とすり石を用いて粉挽(こなび)きし、お粥(かゆ)のようにして食べたり、挽(ひ)いた粉につなぎ(そのままでは固まらないので固まり易(やす)くするために入れるもの)にイノシシの肉や血、野鳥の卵などをいれ、適当な大きさに整えて食べていたようです。このクッキー状(パン状?あるいは肉を使ってるからハンバーグ?)のかたまりは、東北や中部地方などの複数の遺跡から炭化した状態でいくつも見つかっています。しかし、残念ながら横浜市内の遺跡からはまだ見つかっておりません。最近では、各地の文化施設や学校で、縄文クッキーなどと称して体験学習にも取り入れられているようです(皆さんは食べたことありますか?)。
 これらの木の実のほかにも、ヤマモモなどの果実やエゴマやシソなどの種子も見つかっていますので,こういったものも食用として利用されていたことが分かります。また、今から約5,000年前の縄文時代の中頃になると、単に野山で植物を採取するだけではなく、原始的な栽培(さいばい)を行なっていたと考える研究者もいます。
 さらに動物性食物では、シカやイノシシなどの大型のほ乳類から、タヌキやウサギなどの小型ほ乳類や鳥類、イルカなどの海性ほ乳類や魚介類などがありますが、大分話しが長くなってしまいましたので、こちらはまた別の機会に紹介したいと思います。
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