ためになる?豆知識

土器 の年表?のはなし

文字の記録がない時代の歴史は、遺物の古い新しいで年代を組み立てていきます。縄文時代になると土器が作られるようになるため、この土器を手がかりにして作っていきます。
土器の年代を知るためには、出土した土器がどの土層から出たものかがとても大切になります。それは、人の手がなにも加えられていない土層では、下の層から出土したものより上の層から出土したものが新しいという考え方があるからです。これは層位学(そういがく)を使った方法で、いろいろな遺跡にある共通する層を見つけて、その層に入っている土器と、その上や下にある層に入っている土器を較べていくことで、相対的(そうたいてき)な並び順を決めていくことができるのです。イメージとなる図を作ってみましたので参考にしてください。
また、対応する土層がない場合などでは、土器のもつ特徴(形や文様など)を較べていく方法もあります。こちらは型式学(けいしきがく)的な方法と呼ばれるものです(こちらの話は別の機会に取り上げたいと思います)。
これらの方法をいくつも積み重ねて分かった土器の年表(並び順)のことを土器編年(どきへんねん)表といいます。時期を表わすのに適した資料がまとまって出土した時には、その資料が指標(しひょう=基準)となり、見つかった遺跡の名前がその時期の土器の名前として使われることがあります。こうした遺跡のことを標式(ひょうしき)遺跡といいます[この他にも名祖(なおや)遺跡という呼び方もあります]。横浜市内の遺跡でも、縄文時代の標式遺跡になっている遺跡がいくつかあります。金沢区の野島(のじま)貝塚、称名寺(しょうみょうじ)貝塚、磯子区の杉田(すぎた)貝塚がそうです。それぞれ、野島貝塚が早期の野島式、称名寺貝塚が後期の称名寺式、杉田貝塚が晩期の標式遺跡となっています。
約9,600年間という長い間にわたる縄文時代は、土器の製作技術に基づいて、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6つの期間に大きく分けることができますが、さらに土器の型式によって細かく分けることができます(表を参考にしてください)。それぞれの土器の型式が使われていた長さ(期間)や、基準とする土器の型式の名前などについては、研究者によって色々考え方が違っています。また、地域によっても違いがあるため、残念ながら今のところ統一された編年表を作るにはいたっていません。

 

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