横浜市歴史博物館

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開館10周年記念号

新旧館長対談 横浜の歴史を微視的に巨視的に
前沢学芸課長開館一〇周年を迎えるにあたり、開館までのいきさつ、開館後の活動、今後の展望・展開というテーマで、高村直助館長と平野邦雄前館長が対談をいたしました。司会は、前沢学芸課長です。
前沢学芸課長

「横浜に生きた人々の生活の歴史」と横浜

前沢  当館の特色には、大きくまとめて次の三点があります。一つは現在の横浜のよく知られている部分とは違い、対象とする時期を「開港期までを中心とする」としていること。二つめは考古分野の比重が大きいこと。これは、はじめに港北ニュータウン内に考古資料館を設ける構想があったことによります。三つめは資料収集や展示の基本理念を、「横浜に生きた人々の生活の歴史」としているという点です。
 このような特色を持つ当館の基本計画や実施設計といった具体的な作業は一九八九(平成元)年頃から始まっています。高村館長は、開館前から展示指導に加わっていらしたとのことですので、そのあたりのいきさつからお話ししていただきたいと思います。

高村直助館長
高村  私がかかわったのは実施設計の段階からです。「横浜に生きた人々の生活の歴史」という基本テーマは、数年前にできていた国の歴史民俗博物館(千葉県佐倉市、一九八三年開館)がこのような観点に立っていましたし、歴史研究の大きな流れも支配者の歴史から庶民の歴史へという視点の移動がありましたので、この方向で意見がまとまったのです。
 また、類似の施設としてすでにあった横浜開港資料館と役割を分担するため、当館は通史展示を基礎とし、企画展示については近代以前を主にすることになったわけです。さらに、もともと考古資料館という構想があったことも踏まえて、考古的な部分にやや比重を置いた通史展示ということになりました。

前沢  常設展示室は円形になっていて、中心にスタディサロンがあり、その周りが六つのブースに分けた展示となっています。

高村  展示方法の大きな特徴になっていますね。円形を活かし、時
平野邦雄前館長
平野邦雄前館長
代を6つに分けて周囲に展示ブースを配置し、真ん中を休憩の場所あるいは学習の場所として、行ったり来たりできるようにしました。そして、各時代のブースの三つの壁面の同じ場所を同じテーマで通し、そこだけを追っても時代の動きが見えるようにしました。最初の壁面に「変わる横浜の形」を持ってきて、その時代の横浜の地理的変化をとらえ、それから円に接した外側の壁は「ムラに生きる人々」ということで日常生活を主に見ていただく、そしてもう一つの壁面は「人とモノの流れ」とし、交流という主題で見ていく、そういった枠組みにしようという議論をしたことを記憶しています。そして、各ブースの中心にそれぞれの時代を象徴するような模型を置くということにしました。

前沢   「横浜に生きた人々の生活の歴史」というテーマが選ばれたのは、横浜市域の歴史のあり方と大きな関わりがあるのですね。

平野   この基本テーマは、横浜というフィールドをとらえるには非常によく合っていると言えます。福岡、北九州、広島、大阪、名古屋、仙台など政令指定都市の半数は、城下町が基礎となっています。横浜は大都市にもかかわらず、城下町というような伝統的な歴史を欠いている。欠いているというとマイナスに聞こえるかもしれませんが、逆にいうと非常な特性をそこに持っているわけです。政治権力の中枢にいた
スタディサロン
スタディサロン
ことはないけれども、中枢を外辺で支えるという特性です。
 古代に目を移すと、現在の横浜市域である相模・武蔵というのは、ヤマト王権の直接の基盤となっていました。ヤマトから地理的には遠く離れていますけれど、ヤマト王権のヒンターランドでもあるし、フロンティアでもあって直轄地に近い地位を持っていました。ここがなければヤマトに王権は成立していないんですね。
 中世では、金沢区は鎌倉の搦(から)め手的な役割と表玄関的な役割と両方を持っている。ここに港湾がないと鎌倉は存立していないわけです。補給基地ですし、貿易の基地であったわけです。
 近世になりますと大名領ではないが小さな旗本とか、幕府の寺社領とか、大奥の化粧料とか、小さい領地がたくさんありました。代官はほとんど名主が兼ねていて、長い物に巻かれない非常に自立性の強いところで、自分たちがこの所領を動かしているんだという意識が強いところです。これはおそらく、古代からの状況が影響しているのではないかと思います。中央の皇族や貴族の直轄領、これは所領ばかりでなく封戸(ふこ)というようなものが密集していたところですし、畿内の寺院の領地が非常に多いところでもあります。だからわれわれが大和の政権を支えているという意識が強かったのだと思いますね。
 さらに江戸時代も後期になると、一歩江戸から離れているけれども、神奈川宿という重要な湊が品川に対応してあったうえに、実際に開港するのは神奈川宿からもう一歩はずれた横浜です。日本の幕末から近代にかけて、江戸(東京)を控えた中心地点です、横浜は。結果としては政治権力を支えるわけです。古代からこのようないろいろな性格を持っていて、しかし権力の中枢に位置したことはない。ですから横浜市域の歴史というのは、刺激的で、一般の地付きの人たちが他の地域に比べると非常に活発です。

前沢  横浜市域の歴史は、古代からずっと刺激的であったということですね。

平野  横浜は、ミドルやローワークラスの文化が非常に発達したところ、意識的にも現実的にも非常に刺激性に富んだところと考えていいと思います。つまりは、日本文化の特質をよく体現しているのが横浜だといってもかまわない。だから、「横浜に生きた人々の生活の歴史」という基本テーマはいいテーマだと思うわけです。このテーマを、もっと全国的な視野を入れて掘り下げていく必要があると思いますね。

前沢  人々の生活の歴史を扱うのは方法としては難しいのですが、準備段階、計画段階でどういった工夫があったのですか。

高村  たとえば、「近現代」ブースでいいますと、開港以後を扱うにしても、都市化という問題もあるが同時に周辺の農村地帯が長く存在しているという観点も入れたいということで、村の生活を地元の資料にもとづきながら、当時比較的新しい手法であったマジックビジョンで展示しました。もう一つは、お年を召された方に思い出話をしていただきながら、横浜の現代史をたど辿るというビデオのコーナーを作りました。非常に身近に感じられて、現代史の手がかりとしてよかったと思っています。


開館
開館 テープカットには来館者2名と中川西小学校の6年生2名に参加していただきました。
前沢  「おばあちゃんの時代」というコーナーですね。これはお客さんからも大変評判が良く、足を止めている方が多く見受けられます。
 実際には、生活の歴史をわかりやすく表現するのはなかなか難しく、そのためには実物資料を中心としながらも加工した資料、模型やパネル、映像資料というもので補助することが必要となってきます。これは、常設展示の特徴の一つになっています。

巨大都市横浜の「ふるさと」意識の醸成を

前沢  また、当館の特徴として、国史跡の大塚・歳勝土遺跡を含んだ遺跡公園を博物館の野外施設としていることがあります。全国に史跡をもとに設けられた資料館や、博物館の中で遺跡を扱うということはありますが、
博物館の建物が竣工した頃
博物館の建物が竣工した頃
博物館の展示と併せて野外施設を対等の関係におくというのは珍しいと思います。つまり当館は、館内での展示や活動だけでなく、史跡を積極的に活用するのが大きな特徴になっています。そこで工房を使っての体験学習や、復元整備された遺跡での「古代人まるごと体験」といったようなことを行っているわけですが、日常的には横浜の数少ない古代の風景をみられる場所として親しまれています。

平野  この博物館は大塚・歳勝土遺跡を付属していて、博物館としては珍しい。ただ残念なのは、はじめは、遺跡に付属する資料館として計画されていたために博物館としては規模が小さく、横浜という巨大都市の唯一の歴史博物館としては、面積が一万m2を割っていますね。政令指定都市としては珍しい狭さです。そこが欠点ですが、その活動内容は大変広く、また、内容も高いと思います。

高村  私も、当館はすでに他の施設のお手本になるような活動をしていると感じています。近年、文化財の活用ということが盛んに言われていますけれど、当館では先行的に実行してかなり成果も上がっているのではないかなと思います。
 むしろ問題があるとしたら、PRが足りなかったと感じています。横浜は首都をのぞけば最大の巨大都市で、人口が最も多い。しかも人口が多いだけでなくて、都市の成り立ちからして、開港によって全国から人が集まってきた都市であるという特徴が、その後も依然として続いている。地元出身者でない方が非常に多いというという特徴があると思います。そこで、横浜市民としてのまとまりをどうつけていくかが、他の都市と比べてより大事な問題となっています。当館を運営する財団の名前がつけられた時に、「ふるさと」というのが入ったのも、歴史を横浜市民の連帯の基盤として大事にしていきたいという願いが込められていたからです。とくにそれは、行政サイドの強い願いであったと思います。博物館事業は、もともと費用対効果といった点だけからは評価できない文化事業ですけれども、とりわけ巨大都市の市民のレーゾン・デートル、つまり存在基盤をしっかり固める大事な事業だと思います。行政サイドだけでなく、市民サイドからも、そういう観点からお力添えをいただければありがたいと思っています。

前沢  市民の方のお話を聞くと、多くの方がよその土地から来て、横浜に住むようになったことが分かります。それが先ほど話があったエネルギーの源というのでしょうか。横浜市域の歴史を振り返ると、その原型ははるか昔にできあがっていて、連綿として続いていると受けとめています。その中で、見学に訪れる多くの子どもたちに、今の自分が育っている場所を知ってもらう、理解する手がかりをつかんでいってもらうのが当館の非常に大きな役割であると考えています。その点で、学校との関係をきちんと把握し、連携していかなければならないと思っています。
大塚・歳勝土遺跡
大塚・歳勝土遺跡

平野   現代の博物館がかつての博物館とは意味あいが、レーゾン・デートルが違ってきたというのは、世界的に共通の現象です。アメリカの博物館協会の報告書でも、公共サービスと教育的活動が博物館の本質であると言い切っています。イギリスの大英博物館のものを読んでも、あそこはそういうことはやらなかった博物館なのですが、アメリカと同じように、公共サービスと教育的配慮というものが非常に表面に出ております。日本の場合もそうです。

新しい視点を提供していく

前沢   開館以来ほぼ一〇年近く基本理念に基づいた活動を心がけてきましたが、この視点を今後発展させる、継承させる、深めるという点ではいかがでしょうか。

高村  常設展示の寿命は一〇年と言われます。一〇年たてば歴史の研究も進む、お客さんもいつまでも同じものを見続けてはくれません。当館も開館一〇年ということで常設展のリニューアルを準備しなければならない時期にあります。とくに、我々が目指している人々の生活という点では、この一〇年、歴史研究全体の中でもかなり重視されてきた分野で、いろいろな業績が上がっています。それらを汲み上げながらリニューアルしていくのが大きな課題だと思います。

平野  横浜の文化的あるいは経済的、その他の特性を取り上げるときに、それを日本の歴史にもう少し普遍化していく努力があれば、観客に新しい視点を提供していくことになると思います。新しい視点を提供するためには、やはりアメリカの報告書のいう「卓抜性」つまり高度の学術性が必要です。
 たとえば、特別展「古代日本 文字のある風景」(二〇〇三年四月開催)をやりましたね。あれは国立歴史民俗博物館と協業したものと、それと対応して、武蔵・相模の地域の文字文化というものを紹介した「文字との出会い」展(二〇〇三年五月開催)と二つセットで開催しました。どちらも文字というモノにつられてしまった傾向があるんですね。もう少し文字文化の伝播や、庶民の受容する力に着目する必要があったと思います。これは漢字に倭風(やまとふう)を加え、どんどん変えていったという日本文化の底にあるものと同じことなのでね、そういうところを開拓して展示するということが必要でした。

前沢  二つの展示によって古代の文字を多角的・総合的に理解できる機会を提供しようというのが狙いでしたが、もう少し広い視野と深まりが必要だったということですね。

平野  それから交通関係でも、もう少し視野を広げてみてはどうかと思っています。地元に密着する部分と、いったん地元から離れて改めて見直すという面と両方あった方がいいんじゃないかと思います。たとえば足柄や箱根を視野に入れてはどうか。資料もかなり豊富だし、横浜の宿場と非常に密接な関係があるわけですから、うちのレパートリーに入ると思います。これは日本全国の交通体系全体の問題でもあるわけです。
 また、近世の旗本領についてももう少しきちんと研究する必要があると思います。旗本のことがわからないと、横浜気質はわからない。旗本領の展示は「江戸時代の獅子ヶ谷村」(二〇〇三年一月開催)でやりましたね。旗本そのものについては、歴史学会でも研究の具体性が乏しいんですよね。わかっているようでわかってないんです。

前沢  開館以来、五〇回近くのの企画展を開催してきました。ほとんどが自主的な企画展ですが、外部と提携したことが三回あります。考古学と古代のものです。このことは当館の実績が踏まえられていて、全国的な評価をいただけているからだと感じています。

平野  時にはよその博物館と提携するのも必要なことですよ。「幻の宮-伊勢斎宮」(一九九九年三月開催)は、斎宮歴史博物館との提携で非常に人気が高かったですね。横浜の生活の歴史ではないけれども、もっと発想を展開していく考えを一方では持った方がいいと思います。地元を微視的にきちんとやるのと、それを巨視的に見直すことと両方を考えることが求められているのです。


前沢  横浜市歴史博物館はさまざまな面で厳しい状況におかれていますが、ここで今までの蓄積の成果をもう一度見直し、常設展示の全面的な更新や企画展につなげていく活動、普及活動、情報発信活動などに取り組んでいきたいと思います。おこがましい言い方になりますが、当館はいろいろな点で全国の博物館からも注目をされています。その自覚を持ちながら進めていきたいと思います。
「幻の宮 伊勢斎宮」 「古代日本 文字のある風景」
「幻の宮 伊勢斎宮」
「古代日本 文字のある風景」