横浜市内では、近世の庚申塔をはじめ、馬頭観音や道祖神などの多種多様な石塔が造立されており、身近に見ることができます。
このほかにも、横浜市内で見られる石塔類には富士講や御嶽講、出羽三山などの山岳信仰の供養塔、筆子塚や句碑などの記念碑的石塔類、道路標などがあげられます。こうした近世の石塔類は数が多く、戸塚区だけでも693基もの石造物が報告されています。しかし、中には調査報告に記載されていないものもあり、その数はさらに多いと考えられています。
近世の石塔のうち、庚申塔(戸塚区内の179基)を例にあげてその特徴を紹介いたします。
◎戸塚区内石造物693基のうち、庚申塔は179点で全体の26%を占めています。
造立時期:主に17世紀後半。秋から冬に建てられ、特に11月に多い。
庚申塔の形態:造立時期が古い時期(1650年代-1810頃)は舟形・笠付角柱が多く、時期が新しく(1810-1871頃)なるにつれ、尖頂角柱などが多くなってきます。
庚申塔に彫られたもの:当初(1650年代)は帝釈天や阿弥陀如来像、地蔵菩薩などが本尊として彫られました。以後、青面金剛像が中心となり、次第に文字のみへと移っていきます。
また、日月・鶏・邪鬼・三猿なども一緒に彫られ、特に三猿は高頻度で彫られています。
戸塚区内で最も古いものは、上倉田町の舟形の庚申塔で、明暦2(1656)年11月吉日に建てられました。本尊には地蔵立像が浮彫され、また上部には阿弥陀三尊種子と合掌坐像の浮彫が2体見られます。初期のこうした青面金剛像以外の仏像は、庚申信仰を広めた各宗派の僧侶の考えがあったと考えられています。
横浜の石塔について、詳しくは最新号の埋文よこはま44をご覧ください。
また、ただいま公開中のオリジナル動画「石塔シリーズ 道祖神ってなに?」もぜひあわせてご覧ください。