Q&A

Q : 横浜の台場と東京の台場の違いについて

横浜には神奈川台場、東京には品川区に所在する品川台場があります

どちらも幕末期に築造された、外国船を監視・迎撃する海岸砲台です。神奈川台場は、1859(安政6)年に横浜が開港すると、防衛のため対岸に築造され、翌1860(万延元)年に完成します。品川台場は、第1〜第7台場までが1853(嘉永6)〜1854(嘉永7)年の間に起工し、第1〜第6台場までが完成しました。第7台場は、海中埋立のみで工事が中止となっています。

神奈川台場の設計は勝海舟、警備は松山藩が行い、品川台場の設計は江川英龍、警備は第1〜3台場まで、川越藩・会津藩・忍藩が行っています。また、神奈川台場の石垣を構成する石材には、真鶴半島の安山岩が主に使用されていますが、品川台場も同様に、安山岩が主体となっています。

石垣の積み方は、神奈川台場で切石布積みが基本となっており、品川台場でも同様ですが、一部切石谷積み、亀甲積みが混在しているようです。

築造時期や構造もほぼ同じ2つの台場は、その後明治になり海岸砲台としての役目を終えます。現在ではそのほとんどが埋立撤去されていますが、神奈川台場の跡地には、現在でも当時の石垣が所々に残されており、当時の面影を感じることができます。品川台場は第3・第6台場が現存しており、このうち第3台場は「台場公園」となっており、自由に散策ができます。

なお、神奈川台場については「埋文よこはま」39号で詳しく紹介しています。散策に利用できる地図も収録されていますので、ぜひご覧ください。こちらのHP、メニュー「広報紙 埋文よこはま」からも閲覧できます。

*品川台場については、「第1台場遺跡発掘調査報告書」(19999月、港区教育委員会事務局編)を参照しました。


〈神奈川台場発掘調査で検出された東海面側の石垣(北から)〉



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