Q&A

Q : 保土ヶ谷バイパスの建設に伴って遺跡を調査したことがあるのでしょうか?

 40年くらい前のことなのですが、保土ヶ谷バイパスの工事中に土器をたくさん見つけたことがあったのですが、調査したのでしょうか? 古い話ですみません、川井橋(旭区下川井町)の東あたりです。
ほりあいさん(旭区)からのご質問

A ご質問ありがとうございます。開発にあたって、該当地が遺跡であるかどうかの照会はたくさんあるのですが、ほりあいさんのようにご自身が土器などを採集した場所についての問い合わせは、それほど多くはありません。

 ご質問にある川井橋の東側一帯は、旭区No.26遺跡として埋蔵文化財包蔵地として周知されている場所のことだと思われます。『横浜市文化財地図』によると、旭区No.26遺跡は約300×200mの範囲が遺跡地として認識されているようで、遺跡の時期は表面採集された遺物から、縄文時代早期・前期・中期と弥生時代中期であると想定されています。また、遺跡南西側にあたる保土ヶ谷バイパスに接する部分が破線で表現されていますので、元来の遺跡の範囲は地形から推測すると、保土ヶ谷バイパスの部分まで達していたと思われますが、道路建設によってその部分が失われてしまったと考えられています。

 保土ヶ谷パイパスは国道16号線道路のバイパスとして横浜新道新保土ヶ谷インターチェンジから町田市鶴間を結ぶ自動車専用道路で、全線が国土交通省の管轄となっている道路です。発掘調査の大半は、公共工事や施設、マンション建設に伴う事前調査として行なわれますが、その事業の発注元がどこであるかによって調査する組織が異なります。横浜市域でいうと、国の事業に関する発掘調査は公益財団法人かながわ考古学財団が実施しますし、県の事業では入札によって発掘調査組織などが調査することがあります。また、横浜市の事業であれば当財団が実施し、それ以外の民間の事業については、民間の発掘調査組織などが行なっています。ですから、この横浜バイパス道路整備事業に伴う発掘調査については県の所管する団体が行なうのが前提となります。この事業に伴っては、保土ヶ谷バイパス遺跡調査団が組織(団長:赤星直忠)され、保土ヶ谷バイパスNo,1〜5遺跡として発掘調査が実施されていますが、その内容については未だ報告がなされていないため詳細は不明です。なお、旭区No.26遺跡については遺跡名が付けられていないので、この調査団による発掘調査が行なわれていないことがわかります。

 ほりあいさんの指摘のあった箇所ではありませんが、その後1993年に、横浜インターチェンジの改築事業に伴って当財団が調査した事例があります。当時、神奈川県の埋蔵文化財センターは数多くの発掘調査を抱えており、遺跡の位置が横浜市域であることから、当財団(当時は財団法人横浜市ふるさと歴史財団」)が坂下谷遺跡として3地点の調査(上川井二号橋と上川井三号橋の周辺)を実施したものです。調査の結果、縄文時代早期の土坑や炉穴が見つかり、当時の狩猟場であったことが分かりました。土坑の多くは動物捕獲用の陥し穴として用いられたもので、炉穴とは上屋施設がない調理用施設(または薫製などの一次加工?)で、竪穴住居のような恒常的な施設ではなく、短期的な簡易の宿営場所(キャンプのようなものでしょうか)に用いられたもので、土坑状に掘りくぼめられた一部に被熱赤化した部分が確認され、煙道状のものが確認できるものもあります。また、蛸足状に被熱赤化した場所が認められるものもあります。

 こうした遺構は横浜市域の各地で見つかっていますが、横浜動物園ズーラシアや横浜市西部病院建設に伴って他地域に比べ数多く見つかっています。また、ズーラシアの北側には土坑研究の嚆矢(こうし)として著名な霧が丘遺跡も存在し、旭区北部域は縄文時代早期には獲物となる動物が多く棲息しており、狩猟場としては最適な環境であったのではないでしょうか。

調査中の坂下谷遺跡(写真の奥が保土ヶ谷バイパス)  A地点 II区2号炉穴(赤い部分が被熱赤化)

 

 

 

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