Q&A

Q : 縄文時代の貝塚の場所を現在の地図上で知りたいのですが、可能でしょうか?

 釜利谷(金沢区)にあったと言われている青ヶ台貝塚の場所を現在の地図上に落としたいのですが、分からないので教えていただけますでしょうか。(栄区 桜田ずん子さん 20代 女性)からのご質問

A ご質問ありがとうございます。青ヶ台貝塚は金沢区釜利谷東四丁目41付近にあった貝塚で、昭和16年に遺跡と考えられる場所の東側にあたる部分を発掘し、縄文時代中期の竪穴住居跡が3軒発見されました。その後、昭和42年に阿王ヶ台団地造成の事前調査として瀬戸神社の先代の宮司であり、先の調査にも従事された佐野大和(さのひろかず)氏を中心とした調査団による3地点の発掘調査が実施されました。この時の調査では、前回完全に調査できなかった竪穴住居を再調査したほか、さらに同時期の1軒の竪穴住居跡、および後期の敷石住居跡などを発見し調査しました。発掘された竪穴住居の堆積土中に多量の貝が確認され、その様子から廃絶した住居の跡地に貝を廃棄したため貝塚が形成されたものであることか分かりました。貝層や住居以内に堆積していた土の中からは、縄文時代中期後葉の加曽利式(かそりしき)と呼ばれる土器や釣り針などの骨角器(こっかくき)が多数見つかっています。また、別の貝層からは後期前半の堀之内式土器も見つかっており、2時期の集落が営まれていたものと考えられています。

 また、住居の中からは2体の男性の骨が検出されました。そのうちの1体は遺存状態が良く、手足をのばし仰向けになった状態を呈していました。検出された人骨に乱れがないことから、住居の跡に埋葬されたものと考えられています。こうした手足を伸ばしたまま埋葬される状態を伸展葬(しんてんそう)と呼ぶのに対し、手足をまげてうずくまったような状況で埋葬されるものは屈葬(くっそう)と呼んでいます。2回目の調査では前回の東側斜面だけではなく、西側にも貝層が堆積していることが確認されています。こちらの貝層は、住居の中ではなく斜面地に投げ捨てられたようにして形成された貝層でした。

 2度に及ぶ調査でも残念ながら遺跡のすべて調査することはできませんでしたが、東側斜面の第2地点と呼ばれる場所では3軒の竪穴住居が重なっていること、西側の斜面に形成された貝層や貝層内から6体の人骨が見つかったことなどから、丘陵の頂部を中心としたおよそ100mほどの範囲に集落が展開していたのではないかと考えられています。

 下の地図は、横浜市教育委員会が発行している『横浜市文化財地図』の一部を切り取ったものです。少し見えにくいと思いますが、12とかかれている場所が青ヶ台貝塚のあった場所になります。番号は金沢区内の番号です。周辺が破線になっているのはすでに失われている(あるいはほとんどが失われている)ということを表現しています。この地図は横浜市内の図書館で閲覧することが可能です。また、横浜市歴史博物館や埋蔵文化財センターでも閲覧・コピー(有料)ができますので、機会があったらご覧になってください。なお、この地図の縮尺は1/10,000となっています。周辺の地形や建造物を参考に、お持ちの地図上に落としてみてください。

 『横浜市文化財地図』に記載されている青ヶ台貝塚の位置
   
西側斜面に検出された貝層

出土した骨角器の一部(銛類)

 

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