Q&A

Q : 中区本牧緑ヶ丘にある平台貝塚の呼び名について教えてください

 中区本牧緑ヶ丘にある平台貝塚の呼び名について、埋蔵文化財センターでは「ひらだいかいづか」とされていますが、「ひらんだいかいづか」とされているのも見受けることがあります。どちらが正しいということはないのでしょうが、呼び名が混在している理由をお分かりでしたら教えてください。(鎌倉市 黒川雄一さん 68歳)からのご質問

A 中区平台貝塚は過去4回にわたって調査された貝塚で、縄文時代前期の諸磯式(もろいそしき)期の貝塚として有名です。

 さて、ご質問の遺跡の名称ですがどちらで「ひらんだいかいづか」とされているものに巡り会われたのか定かでありませんが、ご説明します。

 以前の質問の中で遺跡の名称について触れたことがありますが(Q古い地名の調べ方を教えてください)、遺跡の名前を付ける際には遺跡の位置する場所の字名(あざめい)や、地元の方が土地の所有者の屋号(やごう)をもってその場所を呼んでいることなどから付けられる場合が多いことを説明させていただきました。遺跡周辺は、現在では本牧緑ヶ丘[旧町名:本牧町間門(まかど)]という町名となっていますが、このこうした町名表記は昭和8年に設けられたもので、それ以前は字名で平台*と呼んでいたようです。*未確認ですが元禄時代に平台という表記があるようです。

 江戸時代にまとめられた『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』のなかには、久良岐郡(くらきぐん)本牧領本郷村のなかに「小名(中略)臺(=台だい)戌(北西よりやや西より)の方なり」という記載があり、本郷村の北西部のあたりに台と呼ばれる小名(=小字)があったことが分かります。この台や平台といった字名は丘陵や台地の上面が平たくなっているところを指した名称で、実は横浜市内には神奈川区にも平台貝塚という貝塚が存在しています。

 このように遺跡の名称が字名などからとっているわけですが、現在では字名を調べるのも大変となっています。この字名を調べる際に人からの聞き取り調査で行なうことがあります。昔の文献や書物にはルビがふっていないものが多く、郷にいれば郷に従え?で地元の古老や郷土史家あるいは土地所有者などに伺うことになります。この際に、調査者が誤って聞き取った場合や相手が誤って覚えていた場合、地元でも複数の呼び名があり、そのなかでもマイナーなものを聞いてしまった場合に、それが正しいものとしてそれ以降遺跡の呼称として認識されてしまうわけです。

 平台貝塚にはこのほかに間門貝塚や緑ヶ丘貝塚、間門平台貝塚、大芝台貝塚などの呼び方もあるようです。貝塚の名称については最初の発掘調査の記録をまとめた『本牧緑ヶ丘 平台貝塚』に「名称考並びに研究小史」として詳しく記載されていますのでご参照ください。また、「ひらんだいかいづか」という呼称については、私たちの調べた限りでは使用されていないようです。過去の報告書にも出てきていないことからご覧になった書物の誤記が編集者の認識違いであった可能性があるものと思われます。

参考文献
岡野隆男 1973 『本牧緑ヶ丘 平台貝塚』
神奈川県立歴史博物館 2008 『神奈川県貝塚地名表』
横浜市市民局総務部住居表示課 2006 『横浜の町名』

2008年の調査で見つかった貝層(白い部分) 貝層の堆積状況の図面を作成しているところ

 

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