Q&A

Q : 浅間神社周辺の縄文・弥生時代の遺跡の資料について教えてください

 横浜市西区の浅間神社周辺に横穴墓が多くあるとホームページで見ました。浅間神社周辺にある縄文・弥生遺跡に関する資料がありましたら教えてください。
また、管轄内の縄文・弥生それぞれの遺跡一覧図があればそれも教えてください。
(さいたま市 大木さん 67歳)からのご質問

A 埋蔵文化財センターホームベージを利用してくださってありがとうございます。

 西区は、隣接する中区と並び横浜市の中心に位置する行政区で、早くから開発されている地域です。このため、遺跡の発掘調査例や確認数は他の区に比べ著しく少なくなっています。端的にいえば、ほとんどの地域が遺跡の有無の確認をする前に開発されてしまったということです。

 西区は、平成16年の『横浜市文化財地図』によると15か所が埋蔵文化財包蔵地(遺跡)として確認されています。ですから、浅間神社周辺となるとあまりに数が少なくなるので、西区全体にエリアを広げてみましょう。

 西区の中で、縄文時代と弥生時代の遺跡地として認識されているのは11か所です。このうち、発掘調査などによって遺跡の性格が分かっているものは5か所となっています。これらの遺跡に関する資料は次のとおりです。

 

北軽井沢遺跡(南軽井沢62付近) 『神奈川県史 資料編20 考古資料』・『日本考古学年報18』

稲荷台貝塚(藤棚町二丁目220付近) 『日本貝塚地名表』

池ノ坂貝塚(西戸部町二丁目190付近) 『日本考古学年報3』

紅葉ヶ丘遺跡(紅葉ケ丘9−1) 『紅葉ヶ丘遺跡』

伊勢山貝塚(宮崎町64付近) 『神奈川県史 資料編20 考古資料』

*北軽井沢遺跡は軽井沢古墳と一緒に調査されており、軽井沢古墳関係の資料は除いています。

 

 この他にも、『日本貝塚地名表』にはいくつかの貝塚があったとされていますが、詳細は不明となっています。

 また、隣接する神奈川区にはマンローが調査した事で知られている三沢貝塚があります。この貝塚は縄文時代後期の貝塚で、横浜市の地域文化財に指定されています。この貝塚は幾度かにわたり調査がなされており、直近では、民間開発に伴って平成21年に調査が行われ、発掘調査報告書が刊行されています。マンローと三ツ沢貝塚については、埋文よこはまの10号に書いてありますので、ダウンロードして読んでみてください。

 つぎに、管轄内の地図という事ですが、私ども埋蔵文化財センターの職務管轄内ということでしたら、先の『横浜市文化財地図』ということになります。ただし、この地図は時代ごとに掲載されているわけではなく、1つの遺跡に対して該当する時期すべてが書き込まれているような体裁になっています。ですから、もし、時代ごとに分かるようにしたいのであれば、コピーを取り色分けなどをする必要があります。なにしろ、遺跡の時代には旧石器時代から近代遺跡まであるので、おっしゃるような時代ごとに分類されたものを作成するとなると大変なページ数になってしまいますからね。

 なお、『神奈川県史』と『紅葉ヶ丘遺跡』の発掘調査報告書は、横浜市内の図書館で見る事ができると思いますが、『日本考古学年報』や『日本貝塚地名表』については、国会図書館や私どものような埋蔵文化財を専門に取り扱っている施設にいかないと恐らく目にする事はできないと思います。ちなみに私どもの埋蔵文化財センターでも先にあげたすべての書物は揃っておりません。

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