Q&A

Q : 縄文人は富士山を崇(あが)めていたのですか?

縄文時代どこからでも見えた特別に大きな火山だと思いますが、縄文人は富士山を崇(あが)めていたのではないでしょうか? また、神の山としてとして拝(おが)んでいた証拠は見つかっているのでしょうか? (立川市 ちかさん パート保母)からの質問

A 原初的な山岳信仰のあり方は「畏怖(いふ=おそれおののくこと)」から発生したと考えるのが一般的な解釈となっています。その理由として考えられることはいくつかあります。最近では南アルプスなどの山にも軽装で山登りをする人も増えてきたようですが、縄文時代の人たちには現代の私たちが想像する以上に、山に登ることは難しく命を賭(と)した行為であったと考えられます。

 深い森を有する山は安易に入ると迷うことがあります。また、ひと度そこに暮らしている動物たちと遭遇してしまえば襲われてしまう危険性もあり、山から無事に帰還できるとは限りません。さらにその山が火山であったりすれば、時には火を噴(ふ)いて広範囲に火山弾や火山灰を周辺にまき散らし、近場では溶岩流などで被害を加えることもあったでしょう、また、噴火はしなくても、火山性の有毒ガスが噴出しているような場所に近づけば、一見何もないところで突然死が襲ってくるので不気味であったに違いません。火山列島とも言い換えられる日本で暮らしている人々にはこの様に生命に危機に直結してしまうことがある山には、みだりに入ったり登ったりするものではなく、危険で恐ろしい場所として考えていたのではないでしょうか。

 また、縄文人たちは「アニミズム」考え方(思想)をもっていたと思われます。「アニミズム」とは精霊崇拝(せいれいすうはい)とか精霊信仰(せいれいしんこう)と呼ばれるもので、森羅万象(しんらばんしょう)すべてのもの(生き物だけでなく無機物も含めたすべて)に霊魂(れいこん)、もしくは霊が宿っているというものの考え方です。


 先ほど火山の噴火などはまさに恐ろしい霊が存在し、怒り暴れ狂っているような状況に彼らの目には映ったでしょう。また火山ではなくても、山周辺では平地に比べて天候が変わりやすく、嵐や雷似よる山火事などの自然の驚異(きょうい)も平地より多く、当時の人々に「恐ろしい神霊の存在」を想起させるのにはたやすかったと思います。こういったことから、原始的な山岳信仰は漠然(ばくぜん)ながらスタートしたと考えても良いでしょう。

 さて、神の山として富士山を拝んでいたかどうかは別として、富士山を崇めていたことを推測させる遺構が、静岡県富士宮市の千居(せんご)遺跡で発見されています。千居遺跡は縄文時代中期〜後期の集落跡で、21軒ほどの竪穴住居が検出されているほか、約50mほどの規模に環状列石(かんじょうれっせき)や帯状列石(たいじょうれっせき)といった配石遺構(はいせきいこう=石を並べ置いた遺構)が12か所で検出されています。このうち、帯状列石を形造っている2本の列は、平行して直線的に富士山(の方向)に向かって配置されています。この様な状況は決して偶然的なものではなく、明らかに富士山を意識して造られている遺構と考えられます。

 横浜では、ちょっと高台に登れば富士山が見えるところが多いので勘違いしてしまいますが、横浜でも場所により見えないところも結構あるようです。神奈川県内でいえば丹沢や箱根に近いエリアでは、近くに大きな山があるため富士山は隠されてしまいます。逆に富士山ウォッチャーの人たちの調査によれば、遥か遠い奈良県からも富士山の頭が見えるところがあるようです。

 ご質問の前半部分の回答としては、縄文人たちが富士山を崇めていたというより身近にある特徴的な山を信仰し、特に富士山が見えるような場所においては富士山を崇めていたと考えるのが無難でしょう。

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