Q&A

Q : 埋蔵文化財センターと横浜市埋蔵文化財センターの関係は?

貴館(埋蔵文化財センター)と横浜市埋蔵文化財センターとはどのような関係にあるのでしょうか?また、横浜市埋蔵文化財センター所有の中川町出土の図像板碑について現在の状況を教えてください。( 奈良市 村田 和義さん からのご質問)

A このような疑問をお持ちの人は結構多いようで、この質問を機にもう一度詳しく説明しておきます。私どもの埋蔵文化財センターは、このホームページの埋蔵文化財センターについてのコーナー(左側のフレームのボタンからアクセスできます)で紹介しているように、もともと横浜市埋蔵文化財センターであった施設で、1992(平成4)年に財団法人横浜市ふるさと歴史財団の発足にともなって埋蔵文化財センターと名称を変更したものです。正式な名称は財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターといいますが、あまりにも長い名称なので通常は埋文センターと略称(愛称)で呼んでいます。ですから、組織が変わっただけで、同じものと考えていただいてよろしいかと思います。

 同じ業態の施設は全国の県や市町村にもあり、その多くは○○(県・市町村名)埋蔵文化財センターと名付けられています。その結果、そうした施設のある市町村などではどこでも、県の埋文センター、あるいは市の埋文センターと呼んでいるようです。

 それぞれの行政区に1つだけの施設であればこれですみますが、横浜市内には、私どものように埋蔵文化財を取り扱うセンターがもうひとつ存在します。こちらは、神奈川県埋蔵文化財センターといいまして、おもに国や県の事業に伴う発掘調査等で出土した遺物や記録類の保管・管理、普及事業等を取り扱っています。同じ横浜市内にあって、一方は神奈川県埋蔵文化財センター、もう一方は埋蔵文化財センターと非常に似通った名称であるため、しばしば間違えて当埋蔵文化財センターの方へ問い合わせがくるケースもあります(逆もあるようです)。

 ですから、利用者(市民)の方からは、「横浜の遺跡については市の埋蔵文化財センターで一括管理し、一本化した方が勝手が良いのに」と縦割り行政による不便さのお叱りを受けることも多いです。利用者にとっては、発掘調査の原因者(事業の発注者)が国や県であろうと市や民間であろうと関係はなく、横浜の遺跡なんだから、横浜の埋蔵文化財センターへ尋ねれば分かるようにして欲しいということでしょうね。

 しかしながら、現状ではこの様な形をとっていますので、お問い合わせの際にもう一方の埋蔵文化財センターへお尋ねくださいと言われたとしても、「ああ、この件は県(あるいは市)の管轄の遺跡や遺物だったんだ」と理解していただき、決してタライ回しにされているのではないことをご理解いただければ幸いと思います。

 また、後段のご質問ですが、1991年に横浜市埋蔵文化財センター発行の『調査研究集録第8集』の中におさめられている「鶴見川流域の画像板碑」という報文中の「(略)当センターが保管している」という文章を見て、現在所蔵している場所がどこであるか疑問に思ったのと推測されます。先に説明したように、この翌年に横浜市埋蔵文化財センターは埋蔵文化財センターと名称が変わりました。また、その後さまざまな遺跡の遺物整理を行なっていく中で収蔵品の移動も行なわれ、現在この板碑は、同じ財団が管理・運営する横浜市歴史博物館において保管・収蔵しております。資料の利用・貸出しなどの手続きについては横浜市歴史博物館が窓口になっておりますので、よろしくお願いいたします。

 残念ながら、私たちも報告書などの原稿を書いている時は、10年以上時が経って組織が代わってしまうことなど少しも考えずにいるのが現状です。ホームページならその都度内容を差し替えることもできますが、印刷した一般の書籍や報告書等では改訂でもない限り難しいことですので、今後は記述の方法等にも気を遣っていきたいと思います。

 

それぞれのセンターの対象区域(横浜市部分は重複しています)

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