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古代のレンジ台「カマド」 カマドは漢字では「竈」と書き、上にお鍋や釜を載せ食べ物などを煮炊きするときに使う施設(道具)のことをいいます。また、カマドの他に「へっつい」や「くど」とも呼ばれています。カマドは釜を載せる所という意味(釜所=かまどころ)で、「へっつい」とは、へつい「竈(へ)つ霊(ひ)」(かまどを護る神様)という言葉が促音(そくおん)化したものでです。また「くど」はもともとカマドに取り付けられている煙の排出部分のこと指す用語でした。これは「竈」という字を分解してみると良くわかりますが、穴+土+黽(べん=カエル)となり、土の部分にあけられたカエルの(巣穴のような)穴、まさしく煙道(えんどう)の姿がうかがえます。「へっつい」「くど」のどちらの言葉も、どういうわけかもともとの意味はさておいて、カマドそのものを指す呼び名として使われるようになっていったようです。 カマドは古墳時代の中ごろ(今から約1,600年前)につくられ始めました。それまでは、竪穴住居の中心付近に炉(ろ=囲炉裏)をつくっていましたが、この頃になるとカマドにとってかわられます。カマドは、竪穴住居の壁に接して掘り込みを設け、シルトや粘土などを用いてこれを土饅頭のように覆(おお)って、その上面に土器が据えつけられるような穴と焚き口の穴をを穿(うが)っています。また、建物の外側に煙を排出するための煙道(えんどう)という仕組みも設けられています。こうしたカマドの他にも、持ち運びが可能な置きカマドというものも使用していたようです。 古墳時代の中期以降日本では、カマドは長い期間使用されることとなります。昭和に入ってからも第二次世界大戦終戦後までは場所にもよりますが一般的に使用されていました。しかし、終戦後から経済成長期にかけて、炊飯器やガスコンロに取って代わられ、現在では、復原・保存された古民家などに残されるほか、ごく一部の人が使用しているにすぎません。 また、長い期間日本で使用されていたと説明しましたが、日本全国でカマドが使用されていたわけではないようです。たとえば江戸時代以降には東日本地域においてはカマドではなく、囲炉裏(いろり)が多く使用されていたようです。囲炉裏の場合、通常居間の中央に設置され、調理用に使用するだけではなく、暖房器具としても利用できます。もちろん照明にもなります。こうした点が西日本より比較的寒い東日本に適していたものと考えられます。これに対しカマドは通常台所に設置されます。もちろん、カマドと囲炉裏を併用して使用している地域もあります。 また、当時の食生活にも関係していたようです。西日本地域では、強飯(こわいい)、東日本では雑穀のお粥などを主として食べていたようです。前者は甕と甑を使用してお米を蒸したもので、カマドを使って作るのに適し、お鍋では作ることが難しいものです。後者はカマドでも作れますが、甕や甑のようにどちらかというと縦長の調理用具ではなく、ナベのような横に広がった調理道具の方が調理しやすいようです。 では、どの辺りがそれぞれの道具を使用していた境界線となるのでしょうか? カマドと囲炉裏の分布(使用)範囲については、両者がともに分布しているエリアがありすっきりとした線引きはできないですが、概ね北緯40度が境になっているようです。 写真は北川表の上遺跡(都筑区)の40号住居跡から見つかったカマドです。天井部分が土圧でつぶれてしまい、焚き口と土器を据える穴が繋がった状態になっています。大半のカマドは、天井部が押しつぶれて見つかることが多く、粘土の部分を露出すると、洋式便所の便座(最近はみないタイプですね)のようなU字状を呈していることが多くなります。この左右2か所に飛び出している部分がまるで着物を着た人の腕に見えるところから私たちは「カマドの袖」と呼んでいます。このカマドは、焚き口の袖に当る部分に土器の半分に割ったものを貼付けて崩れないような工夫をしていたようです。また、住居が捨てられた時には、カマドに土器を載せていたままであったこともよく分ります。 ちなみに、この住居跡からは炭化したおにぎり状のお米が見つかっています。このおにぎり状のお米については機会があれば説明したいと思います。
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