新しい質問

 Q 古墳に副葬された砥石について教えてください
 古墳時代中期〜後期の古墳に副葬された砥石について教えて下さい。その中でも、砥石に孔をあけて腰から下げられるようにした提砥(さげと)というのがあると聞いたのですが、砥石の副葬に意味はあるのでしょうか?また、どれくらいの古墳から出ているのでしょうか? (兵庫県 ゆつさん 大学生)からのご質問

 

A 遠いところから、ご質問どうも有難うございます。さて、古墳に副葬されている提砥(さげと)という砥石についてということですが、正直なところ、この遺物についてはあまり良く知りません。また、残念ながら、今のところ(2009.1現在)横浜市域では確認されていないようです(もしあったらごめんなさい)。そこで勉強方々ちょっと調べてみることにました。
 提砥について関連書物をいくつかあたってみたところ、幸いにも1つの論考にたどり着くことができました。その論考とは、公益財団法人大阪府文化財センターの鹿野 塁さんという方が纏めた「古墳出土の砥石」というもので、提砥について詳細な説明がなされていましたので、今回のご質問に対する回答はこの論考の概略を紹介することでかえさせていただきたいと思います。
 古墳時代の砥石の研究については、あまり研究されてはいないようですが、この論考以前にもいくつかの論考があり、それらの中で一定の見解が求められているようです。そのうちの1つの論考では、朝鮮半島の古墳から出土した提砥の多くが佩砥(はいと)であり、威信財(いしんざい=威勢品ともいう)のひとつとして捉え、日本の提砥についても朝鮮半島から直接持ち込まれたもの、日本製の佩砥としての機能を持ったもの、実用品としての提砥の3つのタイプに分類できるとしています。また、古墳時代中期に朝鮮半島から持ち込まれ、時期が下るに従って実用的な砥石に移行していく特徴が認められるとのことです。また、他の論考では、国内で検出された提砥を含めた砥石を副葬品とする場合には男性の被葬者である可能性が高く、その被葬者についても階層や属性が必ずしも首長階層とは限らないと考えており、大型で未使用の提砥が新羅から、小型で実用品の提砥が百済からもたらされたものと想定しているようです。
 こうした研究を踏まえ、奈良県・大阪府出土の提砥の例(25遺跡、35 個)をあげ、木棺直葬でお棺の中に副葬品として納められている場合、鉄器や土器などとともに置かれ、農具や工具などと同じ場所から出土する傾向があることを述べています。また、提砥という性格上、ぶら下げるための紐などを通したと考える穴が穿たれているものだけを想起しがちですが、出土品の中にはは10cmに見たない直方体で無穴のものも多く、穿孔がなくても袋に入れるなどして携帯できることから、穿孔の有無には関係なく提砥と考えてよいようです。
 提砥が広く使用されるようになったのは、個人所有の刀子などの小型鉄器(生活全般に広く用いられる利器)が普及したことが要因のひとつとして考えられています。こうした道具とともに砥石も個人で所有する必須アイテムとなったのでしょうか。大きな金属器を研ぐ場合には据え砥を使わなくてはなりませんが、小型の鉄器を研ぐ場合には、小さな砥石の方が手に持って研ぐことも可能となりますから便利だったのは言うまでもありません。また、砥石を携えると行為は、朝鮮半島の風習[腰佩(ようはい=腰にぶら下げる飾り)のひとつとして使用]からきているようです。これは、国内で見つかった古い段階の古墳から出土している提砥の多くが未使用で比較的大きなものであることからも裏付けられています。
 こうしたことから、国内における提砥の副葬の意味については、威信財のひとつとして導入され、後に属人的な道具として副葬されていったものと解釈することができます。 また、提砥を伴った古墳の数につきましては、別の論考に先ほどの例の他に、三昧塚古墳(茨城県)・塚山古墳(奈良県)・前山古墳(徳島県)・桑57号墳(栃木県)・稲荷台1号墳(千葉県)・大淵ケ谷横穴(静岡県)・天白古墳(長野県)・平田35号墳(三重県)などからの出土例が挙げられています。
 文頭で触れたように、提砥については不勉強で、論考の読み込みが足らないことから、認識があまい点もあるかと思います。ご質問の内容から察するに、大学でこうした遺物の研究をなさろうと考えているのではないでしょうか。機会がありましたら、下に掲載している文献をお読みになってみてはいかがでしょうか。お近くの埋蔵文化財センターや大学の図書館にはあると思います。 インターネットが普及してくると、今回の提砥のようにこちらではあまり見られない(聞かない)遺物に関しても質問がきてしまうということを痛感いたしました。中途半端なお答えになってしまいましたが、今回はこの程度でご勘弁願います。

参考文献
仏教大学校地(文化財等)調査委員会  2001    『園部岸ヶ前古墳群発掘調査報告書』鹿野 塁  2006    「古墳出土の砥石」『公益財団法人大阪府文化財センター・日本民家集落博物館・大阪府立弥生文化博物館・大阪府立近つ飛鳥博物館2004年度共同研究成果報告書』

 


戸塚区上品濃遺跡(集落)から出土した砥石

右が古墳時代前期、左が古墳時代中期の竪穴住居から出土しました。左側の砥石は4面ともよく使い込んでいますが、右のものは写真手前側と右側しか使われていません。

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