新しい質問

Q 縄文時代に大陸から子馬が持ち込まれたことがあるのでしょうか?
縄文時代の遺跡から、繁殖していない(家畜ではない?)子馬の骨が出土したところがあると本で見かけた覚えがあるのですが、本当でしょうか?また、それはどこの遺跡なのでしょうか? 立川市 ちかさん(パート保母)からの質問
 

A 答えからいいますと、縄文時代に大陸から子馬(以下ウマと表記します)が持ち込まれたという事実は、今のところ確認されていません。ですから、本で見たというのは何か別の記事と混同している可能性が高いと思われます。遺跡を発掘調査していてウマの骨が出土することは結構ありますが、大半のものは中世以降の比較的新しい時代のもので、古くても古墳時代のものとなっています。古墳時代のウマの骨ですと、神奈川県では平塚市の豊田本郷遺跡の溝状遺構から、刻み目を入れた馬の橈骨(とうこつ=人の前腕の拇指(おやゆび)側にある軸状の長い骨にあたる骨)が出土しています。
 昔の発掘調査で、縄文時代や弥生時代のいくつかの遺跡からウマの骨が出土したという記載もあるようですが、現在行なっている発掘調査の方法とはその精度や方法が異なっているため、異なった時代の遺物が混在(こんざい)していたケースもあって、確実とは言えないようです。また、これら遺跡出土の自然遺物の多くは、放射性同位元素(ほうしゃせいどういげんそ)などの科学的年代測定を行なっていないため、実年代は分かっていないのが現状です。一部の遺物については、科学的な年代測定を行なったところ、実際には歴史時代のものであったことが分かった例もあるようです。
 では、縄文時代や弥生時代にはウマは日本に全くいなかったのでしょうか? どこかに野生のウマがいた可能性も捨てられないのでは? しかし、縄文時代の人たちが、イノシシやシカなど大型ほ乳類を食用にしていたことを考えれば、仮にウマがいたとするならば、絶対に食用にしていたはずです(馬刺や桜肉はおいしいですものね)。そうなると、遺跡からイノシシやシカの骨に混じってウマの骨も出土するのは必至です。ですから、遺跡からまったく出土しない点を考慮すれば、まったくいなかったか、あるいは人の目に触れないほど極端に少ない数しか生息していなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
 また、卑弥呼でおなじみの魏志倭人伝にも、「その地には馬・牛・虎‥‥はいない」との表記があって、弥生時代の倭国(日本)においてウマは存在していないとされていますから、やはりいなかったのでしょうね。これに対して、のちの古墳時代になると埴輪や馬具など、ウマに関連した遺物が数多く出土するようになります。このことからも、ウマは古墳時代に入ってから朝鮮半島を経由して家畜等の目的で持ち込まれたことがわかります。

 

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