Q 林遺跡のことを教えてください
 
瀬谷区の下瀬谷中学校の敷地にあったという、「林遺跡(はやしいせき)」について詳しく教えてください。  瀬谷区 林田さん(13歳)からの質問

A 林遺跡は、相鉄線瀬谷駅より南に1.5kmほど行った下瀬谷中学校付近にあります。1982年に発掘調査が行なわれた遺跡で、発掘調査の原因は下瀬谷中学校建設に伴うものでした。学校やマンションなど土地を大きく変えてしまうような工事を行なう時には、事前にその場所が遺跡であるかどうかの確認が必要となります。ですから、学校建設にあたっては遺跡の有無について照会が行なわれました。
 学校建設予定地の周辺には、縄文時代の遺物散布地が数か所で確認されていましたが、肝心の予定地の部分についてはその時点ではまだ遺跡であるかどうかは分かりませんでした。ただ、周りの状況からみると遺跡である可能性が十分考えられました。このため、いきなり本格的な発掘調査を行なうのではなく、試掘溝(しくつこう)と呼ばれる試し掘りの溝を入れて、遺跡があるかどうかを確認する調査をすることとなりました。実際には、校舎を建設する部分に対して、12m×2mの大きさの試掘溝を中心として均等に38本設定し、発掘調査を行ないました。
 調査の結果、一部の試掘溝からは縄文時代早期(今から約9,000年前)の遺物包含層(いぶつほうがんそう=遺物が入っている土層)が見つかりましたが、竪穴住居跡のような遺構は何も発見できませんでした。そこで、調査の視点を縄文時代以前の旧石器時代において、東側に設定したトレンチのうち6本の試掘溝の関東ローム層の部分を80〜100cmほど掘り下げることにしました。その結果、33トレンチと呼ばれる試掘溝からは、旧石器時代の石器などが2点が見つかりました。このため、東側の先端を拡張して調査を行ないましたが、それ以上遺物の広がりを見つけることはできませんでした。旧石器時代の遺跡からは、竪穴住居跡のような明瞭な遺構はあまり発見されず、石器や石器を作る際にでた石の破片、または火をうけた石の集まりなどが検出されるケースが多く、遺物の広がりがなかったためことで、これ以上の本格的な調査は行なわないことにしました。
 出土した遺物は、関東ローム層の上面から約50cmほど下で見つかりました。ひとつは掻器(そうき)と呼ばれる石器で、薄く剥いだ石材の一部に細かな調整を加えて刃部(じんぶ)を作っています。掻器とは皮を肉から剥いだり、なめすための道具のことをいいます。もうひとつは石器ではなく剥片(はくへん)と呼ばれるもので、こちらは石器を作った際に出た破片と思われます。いずれの石も材質は黒曜石(こくようせき)という天然のガラス質火成岩でした。黒曜石については、過去の質問に関連した質問があります。
 相模野台地で見つかっている旧石器時代の遺跡は、河川の蛇行によって張り出した地形や支谷(しこく)の谷頭に位置しているものが多く、この林遺跡も境川とその支流の相沢川に挟まれた段丘上に位置していることでも生活の場であった可能性は考えられます。残念ながらこの時の調査では、はっきりした痕跡を見つけることはできませんでしたが、まだ発掘調査を行なっていない校庭部分や学校の周辺に生活の場が残されているのかも知れません。この発掘調査の様子は、発掘調査報告書としてまとめられています。市内の公立図書館や埋蔵文化財センター、横浜市歴史博物館でみることができます。

横浜市教育委員会 1982 『林遺跡調査報告』(B5判)

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