Q 住居の出入り口の向きについて教えてください。
 子どもが学校の授業で竪穴式住居のことを勉強しました。その際住居の出入り口 をいろんな方角に描いていた所、先生に全部南向きだと注意されました。「教科書、資料集とも色々な方角に描かれているのに」と子どもは納得いかない様子です。 実際方角は決まっているものなのでしょうか。
(大阪府 川原さん 主婦からの質問)
A 早速ですが、質問に答えさせていただきます。竪穴住居跡の入り口施設の向きについては、一言でいえば決まってはおりません。ですから、いろいろな方向を向いていても決しておかしくはありません。ただし、南側(真南を中心とした南側方面)に向けているものが大半を占めるのは事実です。
 下の図をご覧ください。これは、横浜市保土ヶ谷区というところで2004年にかながわ考古学財団
*1が調査した明神台(みょうじんだい)遺跡と明神台北遺跡の竪穴住居跡の主軸方向*2(建物の向き)を較べたものです。これらの集落の中心となる時期は、弥生時代後期から古墳時代前期(約1,900〜1,700年前)となっています。図を読み取ると建物の入り口は南東か南を向いているのが分かります。
 では、一定の決まり事があったのでしょうか。現代の私たちの生活には、さまざまな規則や規律がありますが、当時の人びとの生活のなかで住居の向きに対する規則があったとは思えません。では、どうして南側に集中するのでしょうが?
 ここからは、具体例ではありませんので参考になるかどうか分かりませんが、ひとつの考え方を述べてみます。当時の人たちの生活は、日の出から日の入りまでの間が基本的な活動時間となっていたと思われます。その理由としては十分な屋外照明がなかったためです。それから、闇に対する畏怖(いふ=恐れおののくこと)があったことが考えられます。宗教的な考え方では、一般的に生は光、死は闇に例えられるように、彼らにとって闇は死に直結する恐ろしいものであったのではないでしょうか。北半球に位置する日本では、太陽の軌跡は東から南を通って西へと向かいます。入り口を南側に向けることで、より長い間生の象徴(しょうちょう)ともいえる太陽の恩恵(おんけい)を受けることを考えていたのではないでしょうか(単に明かりをとるためかも知れませんが…)。
 とはいっても、実際に家を建てるときには、その土地の条件によって左右されるために南側に向けられない場合が出てきます。それらのケースがばらつきに該当するのではないでしょうか。
 あまりうまく説明できませんでしたが、お分かりになっていただけたでしょうか。恐らく、先生は南側が多いということをどこかで勘違いして、すべてが南側と説明してしまったのではないでしょうか。また、教本などにレアなケースの絵を載せてしまったことにも問題があるかも知れません。

*1 私たちの埋蔵文化財センターも隣接地を調査し、報告書を刊行しています。
*2 主軸とは、入り口から炉跡(ろあと)の方向をいいますので、入り口の方向は図に示される方向とは180度異なります。
明神台(みょうじんだい)遺跡の竪穴住居跡の向きの分布
質問のトップへ埋文ページホームへ

公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センター
当センターのページ内にある画像、文章等を無断で転載、引用することはできません。