発掘調査事業
杉田東漸寺遺跡(磯子区No.43)
所在地
横浜市磯子区杉田一丁目8−1
遺跡の位置
JR根岸線新杉田駅と京浜急行杉田駅の2つの駅にはさまれた場所にある市立杉田小学校の校庭に位置しています。
検出遺構
調査を実施した結果、竪穴住居跡2軒、竪穴状遺構3基、溝状遺構15条、貝層4か所、土坑5基、墓1か所、中世の地業面(じぎょうめん=整備された地面)2か所などの遺構が発見されました。
出土遺物
古墳時代前期の甕形土器や壺形土器や古墳時代後期〜奈良時代の坏形土器などの土器や石器、中世のかわらけなどのほか、鉄製品などが出土しました。
調査の概要
今回の発掘調査は横浜市立杉田小学校の改築工事に伴って行なった本発掘調査で、2005.4.25から2005.6.27(現地調査)の期間に約694㎡の調査を行ないました。調査を行なった範囲は、前回までに調査していなかった校庭部分を中心とした部分となっています。遺構が造られた時期は、古墳時代前期から中世までの間で、貝塚ができた時期は古墳時代前期であることが分かりました。調査中には、クジラの下あごの骨が出土したり、縄文時代後期に海の底であったことを示している自然の貝層なども発見され、神奈川県立生命の星・地球博物館の学芸員の協力を得て、取り上げを行ないました。
杉田東漸寺貝塚

 
茅ヶ崎城址(都筑区No.168)
所在地
横浜市都筑区茅ヶ崎東二丁目25
遺跡の位置
横浜市営地下鉄高速3号線のセンター南駅の東側およそ400mにある早渕川を望む丘陵の上に位置しています。
検出遺構
今回の発掘調査では、1軒の竪穴住居跡、1基の土坑、2条の溝状遺構、1か所の土塁、2か所の空堀、1基の井戸址、などが発見されました。
出土遺物
あまり遺物は出土しませんでしたが、竪穴住居跡からは古墳時代後期の甕形土器が見つかっています。
調査の概要
公園整備工事に伴う本発掘調査として、2005.9.9〜2005.10.14(現地調査)の期間に約219㎡の調査を行ないました。遺跡の中心は中世の城跡ですが、築城以前にも集落が営まれていたことが分かりました。
茅ヶ崎城址 茅ヶ崎城址

 
中区No.2遺跡[元町貝塚](中区No.2)
所在地
横浜市中区山手町97
遺跡の位置
みなとみらい線の終点駅の元町・中華街駅の南側にある台地の先端に位置しています。
検出遺構
縄文時代中期初めごろの貝層(貝塚)1か所、近代の溝状遺構1条、竪穴状の遺構1か所、4このゴミ穴と思われる穴、方形の浅い掘り込みなどが見つかりました。
出土遺物
縄文時代中期の土器片や獣の骨が貝層の中から見つかっています。そのほかには骨を加工して作ったペンダントや釣り針やヤスなども見つかっています。
調査の概要
公園整備工事に伴う本発掘調査として、2006.1.27〜2006.3.31(現地調査)の期間に約500m2の調査を行ないました。貝層の中からは東漸寺貝塚で見つかったものと同じようなクジラの下あごの骨が見つかりました。こちらも神奈川県立生命の星・地球博物館の学芸員の協力を得て、取り上げを行ないました。
元町貝塚 元町貝塚

整理・報告書作成事業
杉田東漸寺遺跡(磯子区No.43)
所在地
横浜市磯子区杉田一丁目8−1
委託者
横浜市教育委員会
調査期間
2005.4.25〜2005.6.27(現地調査)
遺跡の概要
 今回の発掘調査は、横浜市立杉田小学校改築工事に伴って行なった本発掘調査です。調査した範囲は、前回までに調査していなかった校庭部分を中心とした部分となっています。調査を実施した結果、竪穴住居跡2軒、竪穴状遺構3基、溝状遺構15条、貝層4か所、土坑5基、墓1か所、中世の地業面(じぎょうめん=整備された地面)2か所などの遺構が発見されました。遺構が造られた時期は、古墳時代前期から中世までの間で、貝塚ができた時期は古墳時代前期であることが分かりました。調査中には、クジラの下あごの骨が出土したり、縄文時代後期に海の底であったことを示している自然貝層なども発見され、神奈川県立生命の星・地球博物館の学芸員の協力を得て調査を行ないました。
整理期間
2005.11.30〜2006.2.24
今年度の整理状況
単年度事業のため、遺物の洗浄から注記・接合・復原などの基礎整理から、遺物の実測やトレース、遺構のトレース作業や原稿執筆作業などを行ない、報告書を刊行しました。

 
茅ヶ崎城址(都筑区No.168)
所在地
横浜市都筑区茅ヶ崎東二丁目25
委託者
横浜市環境創造局(平成15年度調査は緑政局)
調査期間
平成15年調査−2003.7.28〜2003.9.12(現地調査)
平成17年度調査−2005.9.9〜2005.10.14(現地調査)
遺跡の概要
公園整備工事に伴う平成15年度調査および平成17年度調査の2回にわたる本発掘調査によって、3軒の竪穴住居跡、1基の竪穴状遺構、8基の土坑、3条の溝状遺構、1か所の道路状遺構、3か所の硬化面、2か所の土塁、2か所の空堀、1基の井戸址、1か所のピット群などが発見されました。遺跡の中心は中世の城跡ですが、築城以前にも集落が営まれていたことが分かりました。
整理期間
2006.1.30〜2006.3.30
今年度の整理状況
単年度事業のため、遺物の洗浄から注記・接合・復原などの基礎整理から、遺物の実測やトレース、遺構のトレース作業や原稿執筆作業などを行ない、報告書を刊行しました。

 
鶴見区No.104遺跡(鶴見区No.108)
所在地
横浜市鶴見区岸谷二丁目1番
委託者
横浜市道路局
調査期間
2004.2.14〜2004.2.22(現地調査)
遺跡の概要
道路整備事業に伴う本発掘調査で、調査地点が学史上有名な風早台貝塚の一部にあたっていたため、新たな遺構が見つかる可能性が考えられていました。しかしながら、調査範囲の大部分が近代に人の手が加えられて何も見つけることができませんでした。
*遺跡の名前には県の遺跡番号がつけられています。
整理期間
2005.7.11〜2005.11.30
今年度の整理状況
単年度事業のため、遺物の洗浄から注記・接合・復原などの基礎整理から、遺物の実測やトレース、遺構のトレース作業や原稿執筆作業などを行ない、報告書を刊行しました。

 
明神台遺跡A地区(保土ヶ谷区No.75)
所在地
横浜市保土ヶ谷区明神台48−10
委託者
独立行政法人 都市再生機構 神奈川地域支社
横浜市まちづくり調整局
調査期間
2005.4.2〜2005.7.30(現地調査)
遺跡の概要
市営住宅建て替えに伴う本発掘調査で、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての竪穴住居跡が23軒、縄文時代中期の竪穴住居跡や前期の集石遺構などが発見されました。また、すぐ隣をかながわ考古学財団が調査したところ同じ時期の住居跡が見つかっています。これらの住居跡を合わせると大規模な集落であったことが分かります。
整理期間
2005.10.3〜2006.3.31
今年度の整理状況
単年度事業のため、遺物の洗浄から注記・接合・復原などの基礎整理から、遺物の実測やトレース、遺構のトレース作業や原稿執筆作業などを行ない、報告書を刊行しました。

公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センター
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