ためになる?豆知識

瀬戸神社旧境内地内遺跡出土のオランダ製陶器

 京浜急行金沢八景駅周辺は瀬戸と呼ばれる地域です。この瀬戸とは潮汐(ちょうせき)の干満によって激しい潮流を生じる幅が狭い海峡を指す言葉で、現在では見る影もありませんが、東急車輛や横浜市大や金沢区役所がある一帯は元々は平潟湾の最奥部にあたる袋状を呈した入江でした。この湾の入り口部分が狭く潮の流れが早くなっていたため瀬戸という名が付けられました。この入江の入り口部分には中世になると瀬戸橋という橋が架けられ、六浦方面から称名寺に行くのに入江を廻っていくことなく、ショートカットすることができ非常に便利になりました。

 この瀬戸橋のほとりに源頼朝が勧請したと言われている瀬戸神社があります。瀬戸神社の宮司は佐野さんという方が務めていますが、大正時代までは千葉氏が代々務めていました。現在仮設のバスターミナルになっているところには、地元では千葉山(あるいは五助山)と呼ばれる標高20m程度の東西に延びる丘陵がありました。この千葉山の南側には六浦道と呼ばれる道があり、この道と山によって区画された場所に瀬戸神社と瀬戸神社を司っていた宮司の屋敷があったことが『江戸名所図会』に描かれています。

 平成24年現在行なわれている金沢八景駅東口の整備事業は、新都市交通(シーサイドライン)の敷設が計画されていた頃から行なわれており、その事前調査として宮司の屋敷跡などを調査する目的で過去5回の発掘調査を行なっています。
 昭和62年に行なわれた発掘調査では、江戸時代の貝塚を含む5か所の貝塚ややぐら、中世〜近世の地業面とその地業面に伴うさまざまな遺構が見つかりました。この時の調査では江戸時代の貝塚や地業層に伴って大量の陶磁器類が出土しており、今回紹介する遺物もこうした出土品のひとつです。

 写真の陶器碗は完形ではありませんが、口径10.4cmを測る碗で、器の外面と内面に文様がプリントされています。こうした食器は銅版転写陶器(プリントウェア)と呼ばれ、19世紀後半にイギリスやオランダから日本に輸入されたものです。高台の内側にはメーカーの商標がプリントされており、ペトゥルス・レグゥー社(窯)で作られたものであることが分かります。ペトゥルス・レグゥー社はオランダのマーストリヒトにペトゥルス・ラウレンティウス・レグゥートが1836年に設立した陶磁器製造メーカーです。商標の下に四角で囲まれたPOMPEIAというのは、器に描かれているパターンの種類です。ネットで検索したところ、海外のアンティークコレクターが取引しているPOMPEIAを見ることができました。基本的な文様は同じようですが、細部が異なっていました。口縁内面には骨をイメージしたと思われるようなマークの文様帯が用いられていることや、見込みに描かれている文様も異なっています。また、海外のものは、鮮やかな色が着けられているのに対し、瀬戸神社のものは青色の輪郭のみをプリントした上に、釉の上から花などに上絵付けを施しています。

 この陶器は報告書等には取り上げていない遺物ですが、偶然大量にある遺物の中から目についたものでした。きっと陽の目を見たかったのか訴えかけてくるものがあり、自然と手に取っていました。かなり珍しい資料のようなので、この陶器については後日もう少し調べてみたいと思います。
 

瀬戸神社旧境内地内遺跡から出土したオランダ産の陶器茶碗
写真は上から見たもの(見込み)、斜め横から見たもの、下から見たもの(高台)の順になります。
プリントを良く見せるために、向きはあえて合わせていません。


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