ためになる?豆知識

変な形の土器

 土器にはさまざまな形があります。縄文土器では深鉢形土器や浅鉢形土器がほとんどをしめていますが、弥生時代になると深鉢形土器にかわる甕形土器や壺形土器、高坏形土器や椀形土器など、一般的な竪穴住居跡から出土する器種(きしゅ)のバリエーションが増えてきます。

 今回はこうした一般的なものではなく、少し変わった形をした土器を紹介いたします。一般的な土器は、口縁部と呼ばれる縁(ふち)の部分が土器の上部にあって水平か波を打ったような形をしているものですが、写真の土器は横(斜め)の部分についています。このような形をした土器は、手焙(てあぶ)り形土器と呼ばれています。

 非常に珍しいもので、完全に復原できるようなものは横浜市域ではわずかに2点しか確認されていません。そのうちの1点は、戸塚区の舞岡リサーチパーク内遺跡、もう1点は都筑区の北川表の上遺跡から出土しており、写真の土器は舞岡リサーチパーク内遺跡から出土した手焙り形土器です。

 手焙りというと頭にすぐに思い浮かべるのは「火鉢(ひばち)」です。火鉢は別名手焙り火鉢とも呼ばれ、おもに手を焙り暖をとるために使われた道具です。言い換えればストーブがわりといったところでしょうか。また、私は見たことがないのですが、一般的な火鉢とは異なって写真の土器ような覆いがついている手焙り火鉢というものもあるようです。火鉢は最近ではあまり見られなくなりましたが、昭和の中頃(家具のデザインではミッドセンチュリーと呼ばれる時期です。横文字にするとなんかかっこいいですね)にはまだ使用しているところもありました。今では本来の暖房器具としてではなく、インテリアや植木鉢(または植木鉢カバー)、水をはって金魚等を飼うのに使っている人もいるようです。

 この手焙り形土器は、弥生時代後期の後半から古墳時代初頭にかけてのごくわずかな時期にみられる特殊な土器です。鉢形土器のような形の口の部分にに覆いようなものを付け足し、口縁部を側面に向けるという面白い形状をしています。口のあいた部分(開口部)から上だけをみると、まるで雪で造ったカマクラのような形をしています。またシルエットだけ見るとダルマさんのようにもみえますね。

 他地域で見つかる手焙り形土器の覆い部の内部には、少なからず煤状の黒色物が付着した痕跡が認められているようで、このことから、土器の内部で火を燃やしたことが考えられています。ただしその用途については頻繁に出土しないことから、たんなる暖房や照明の道具ではなく、火を用いた特殊な祭祀等に使用されたものではないかと考えられています。

 写真の手焙り形土器は、器高が15.5cm、最大径が17cm、底径が7.4cmを測り、口縁部の開口部がカマボコ形を呈しています。また、この開口部は直線的な下側の部分を除いて、面と呼ばれる外側に突出した口唇状のものがつけられていますが、残念ながらその上半部を失っています。覆い部と呼ばれる器の上部の内側には、煤状の黒色物などの付着は認められませんでした。

 残念ながら、発掘調査報告書にはこの土器の具体的な出土状況が記載されていないため、どのような状態で出土したのかは不明ですが、竪穴住居内からの出土品であることは分っています。もう1点の北川表の上遺跡から出土した手焙り形土器は、竪穴住居の床の上に置かれたような状態で出土しています。ただ、この住居跡は重複する方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)の主体部(しゅたいぶ=遺骸が葬られる場所)が想定される位置にあるため、方形周溝墓に伴う遺物であった可能性も考えられています。

 手焙り形土器を研究している研究者の中には、1つの住居から1つしか出土しないこと、古墳や方形周溝墓から出土する場合もほとんどが1つの遺跡から1つしかみつからないことから、祭祀に関係する人の個人所有物であったのではないかと考えているようです。また、壊れた状態で見つかることも多いことから、祭祀が終わった後に破棄するものであったと考えられているようです。

手焙り形土器の写真 実測図

舞岡リサーチパーク内遺跡出土の手焙り形土器(左)と実測図(右)


TOPへ戻る 一覧画面へ戻る 埋文ページホームへ