ためになる?豆知識

お鍋のはなし

お鍋とは、ご存知のように加熱用の調理用具の1つです。口縁部の径がもっも大きく、口縁部から底部にかけて屈曲部をもたない形をしているものが一般的で、形は鉢形土器と非常に似通っています。その素材には、土(陶)製や鉄製、石製のものがあり、このうち土製の鍋は、中世以降に全国的に広く用いられるようになりました。また、当時の石製のお鍋は石鍋と呼ばれた、滑石(かっせき)製のお鍋のことです。滑石は石の中でも硬度が低く非常に加工し易い石材のため、器としても使われるようになりました。石鍋は主に西日本地域を中心に使用されていますが、関東地方でも鎌倉の遺跡などから多く破片が出土しています。ちょうど石焼ビビンパなどを入れる器と同じような物と考えてもらえば分かり易いでしょうか。
また、お鍋と同じように加熱用の調理用具にお釜がありますが、こちらは鍋と較べるとやや深いつくりをしており、胴に鍔をつけてカマドに載せられるようになっています。
以前に器形のお話をしたときにも書きましたが、縄文土器の深鉢形土器や弥生土器の甕形土器も、鍋の機能(用途)をもっている道具です。ただ、現在私たちが目にしているような一般的な鍋の形態が出現するのは、7世紀の後半頃(古墳時代の後期)になってからで、朝鮮半島から持ち込まれたものと考えられています。しかし、この時代においては、まだほとんどの地域では土師器(はじき)の甕形土器が鍋の役目を果たしていました。ただし、静岡県の東部地域など、鍋のように浅い甕形土器を用いている地域もありました。こうした土器は、駿東甕(すんとうがめ)や堝(なべ)と呼ばれています。
では、一般的に使用されるようになったのはいつ頃からたったのでしょうか? 実は鍋が全国的に分布するようになったのは中世になってからのようです。中世になると全国的に道路も整備され、生産地と消費地との流通範囲が格段と広がり、それまでは一部の地域でしか使用されていなかったものもさまざまな場所で使われるようになりました。鍋についても、こうした背景で各地に流通するようになったと考えられます。
写真は旭区の都筑自然公園予定地内遺跡No.7地点から出土した鉄鍋で、こちらは江戸時代(18世紀)のお墓から出土したものです。中世のお鍋の写真があれば良かったのですが破片しかなかったので、こちらでご勘弁を。この鍋は、向かい合う2か所に耳状の把手状のものが突出し、一方には自在かぎにぶらさげるための釣り手の一部が残っていました。また、3つの小さな脚がつけられていたようですが、見つかった際には2つしか残っていませんでした。鉄製のため全体に錆びが進行していて、状態は非常に悪いものでした。
長くなってしまいましたが、最後にもうちょっとだけおつきあいいただきます。だいぶ前の話しになってしまいますが、BS日テレの2007年1月14日放送の『美食結社 WONDERKITCHEN』をご覧になりましたか?タイトルからも分かるように食に関することを毎回取り上げる番組で、ちょい悪オヤジで一世風靡したイタリア人のジローラモさんがナビゲーターとなっています。この回の話しは「お鍋」を題材にしたものでした。話しの展開中、昔の鍋について触れる場面があって、鍋の起源について問い合わせが埋蔵文化財センターにありました。そこで、さきほどと同じような説明をして、鍋の昔の形の一例として保土ヶ谷区の明神台(みょうじんだい)遺跡A地点から出土した弥生時代後期の台付き甕形土器の写真を提供しました。この番組はネット配信しているようですから、今でも見ることができるかも知れません。

 

錆びが進行して胴の一部に穴があいてしまっています

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