無題

栄区横穴墓探訪記(その2
 
宮ノ前横穴墓群を見終わった一行は、上がってきたコースを逆に戻り下界?(住宅街)へと帰ってきました。次の横穴墓はちょっと離れた場所となるので、2台の車に分乗し正翁寺の駐車場まで移動してきました。これからの移動時間のことを考えると、正翁寺に行くより桂町遺跡群B地区にいった方がスムーズに回れそうなので、予定を変更して先に桂町遺跡群B地区に足を向けることにしました。
 桂町遺跡群B地区は昭和52年にA地区とともに調査された遺跡で、B地区では14基の横穴墓が調査されました。この遺跡の調査は宅地造成のための調査であったため、現在では完全な住宅地となってしまって、横穴墓があった痕跡すら分らないような状況でした。しかしよく見ると、北側の方には正翁寺から続く緑地帯(崖面)が見えるほか、5mほどの高さのよう壁によって区切られた住宅地が展開しているように見受けられました。ちょうどこのよう壁までが調査対象範囲で、よう壁の上あたりに横穴墓が展開していたのでしょう。
 現在の地図を見る限りでは、もともとの地形がどのようになっていたのかよく分りません。しかし、開発が進む前の地図(明治14年作成)を見てみると、正翁寺墓地裏横穴墓群と桂町遺跡群B地区は同じ丘陵の東側に向いた斜面にあることがよく分ります。2つの地点はちょっと離れていますが、それぞれが大きな横穴墓群のひとつの支群として作られていた可能性も十分ありそうです。なお、この桂町遺跡群B地区では棺室構造を持つ横穴墓は検出されていません。
 さて、いつまでここにいても住宅とよう壁しか見えないので、一行は正翁寺に向かうことにしました。正翁寺の住職への挨拶を済ませ、境内の奥にある墓地に向かっていきました。しかし、開口している横穴墓を確認することができませんでした。柳下さんの話によると、人が入ったりしたら危ないので住職が開口部分を刈った竹材などで塞いでしまったとのことです。この正翁寺墓地裏横穴墓群は『文化財地図』によると8基の横穴墓が確認されていることになっています。住職も埋蔵文化財や歴史への関心がある方らしいので、むやみに破壊してしまうなんてことはないと思われます。まだ回らなければならないところがあるので、正翁寺の墓地裏に残存する横穴墓の基数調査は次回にすることにとして、次の横穴墓へ向かうことにしました。
 次は、宮ノ前横穴墓群と同じ丘陵の西向きの谷戸にある横穴墓で、これまで『横浜市文化財地図』には掲載されていない新発見?の横穴墓群です。個人の敷地内の一角にあり、この方のお名前をとって横穴墓を○○宅裏横穴墓群とすることもできたのですが、安易に紹介してしまうと、今後もその名称が使われてしまうかも知れないので、今回のこの探訪記ではあえて固有の名称を使用しないことにしました。
 この横穴墓群は、西向きに「コ」の字状に展開している丘陵のなかで、南側に向かう一段高まった場所に2基が開口していました。所有者の方はお留守でしたが、柳下さんが事前に許可をいただいていたので敷地の中へと中へ入らせていただき、早速横穴墓の中に入ってみることにしました。
 開口部までは東側の横穴墓の方が登りやすそうだったので、まずはこちらの横穴墓に入って見ることにしました。どうやら一時期、物置きに使っていたようで、横穴墓の中には堆積土はほとんどなく、底面があらわになっていました。平面の形状が逆台形をした約4mほどの横穴墓で、奥壁は左右が約2.5m、高さは約2mを測り、断面形状はアーチ形をしています。また、奥壁から約1.5m付近まで玄室の中央と側壁と奥壁に沿って排水溝が設けられていました。
 次に西側の横穴墓に入ってみました。東側の横穴墓とは違い開口部付近に少し堆積土が残ってたようですが、奥の方はほとんど堆積土もなく、やはり物置として使用していたようでした。こちらの横穴墓も平面の形状は逆台形で、現存する全長は約4.2mほどでした。奥壁で左右が約2.7m、高さ約2mを測るアーチ形の断面形状を呈しています。ただ、先の横穴墓の奥壁が直線的であったのに対して、こちらの奥壁は中央部分が約15cmほど突出し、奥壁が若干湾曲していました。また、こちらの底面にも排水溝が設けられていましたが、中央部分にはありませんでした。
 これら2基の横穴墓があるエリアは周辺の樹木が覆い茂っており、樹木の枯れる季節や、よほど近くに寄らないと口が開いているとは分りにくく、こうしたことが横穴墓の存在が知られていなかった原因となったのでしょう。
 最後の見学先は中居丸山横穴墓群です。こちらは栄区横穴墓探訪記(その1)で紹介した宮ノ前横穴墓群とともに鵠沼女子校の教諭と生徒たちによって調査された5群25基の横穴墓群です。先の『横浜市文化財地図』には7基が現存していることになっています。
 以前、市民の方から「文化財地図をもとに現地を訪れたのだが、どこにも横穴墓がなかった」という問い合わせがあり、報告書の図面や記述、開発前の地形図とを検討したところ、どうやら『横浜市文化財地図』を作る際に誤った地点に印をしてしまったことが分りました。
 位置的な問題と7基が現存していると説明から、残存しているのはどうやらA群のようです。
 早速現地に行ってみると、まずB〜E群があると思われる場所にはきれいなよう壁が設えてありました。やはり現存しているのはA群のようです。建設中の分譲地の奥にあたるため、ちょっと階段をお借りして奥へと向かいました。そこには横穴墓がありましたが、不思議なことに2基の横穴墓しか開口していません。報告書の分布図と照らし合わせて見た結果、この2基は6・7号墓のようです。2基の横穴墓はいずれも棺室構造をもつ横穴墓で、いずれの横穴墓も玄室に廃棄物などが押し込められているような状況でした。この6・7号横穴墓から西側に少し離れた場所には、なかば埋められてしまった横穴墓のような箇所がありました。どうやらこれは5号墓のようです。この5号墓とその周辺の様子から察するに、1〜4号もどうやら埋められてしまったようです。正翁寺墓地裏横穴墓群のように、安易に人が入らないようにする目的で埋めたのかはどうかは分りませんが、破壊されてはいないようなので一安心です。これ以上の開発がなければ、今後2基の横穴墓はひっそりと住宅の間に口を開けていることになるのでしょう。
 今回の横穴墓探訪で感じたことは、残存している横穴墓はどれも水が湧いていないのに、崩落や落盤などせずにきれいに残っていたということです。水道が途切れてしまうと風化が早まり天井部分が崩落してしまいがちです。それでもきれいに残っているということは、後世の私たちに横穴墓の姿を見せたいといったなにか目に見えない力が働いているのでしょうか? 
 こうした遺跡探訪のような遺跡の紹介の仕方も面白いことに気付かされましたので、また機会があれば、栄区を中心にこうした紹介も行なっていきたいと思います。なお、こうした遺跡を見学する際には、マナーを守って見学してください。特に私有地では必ず所有者の許可をとった上で、見学するように心掛けてください。また、絶対にゴミなどを放置しないようにしてください。

この辺りに桂町遺跡群B地区が‥‥

今は確認できない正翁寺墓地裏横穴墓群

新たに発見された横穴墓(西側)

新たに発見された横穴墓(東側)

中居丸山横穴墓群(A群)の現状 

廃棄物が入れられているA−6号墓

 

刈り取られた植物が入れられているA−7号墓

 

中居丸山横穴墓群分布図